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別れ
金木犀の蕾がつきはじめた頃、突然、ばたり、と静流が倒れた。桃は慌てて救急車を呼んだ。全身をくまなく検査したところ、脳に異常が見つかった。静流の身体は高齢で手術には耐えられない。数日入院して投薬治療を施したが、どんどん具合が悪くなり、医者に病院で死ぬか自宅で死ぬかを遠回しに聞かれた。静流は、家で死ぬことを選んだ。静流は寝たきりになり、意識も曖昧になった。
「静流さん。飯だよ」
桃が粥に自分の血を少しだけ混ぜたものを食わせる。静流は桃が食べてほしい量の半分も飲み込めなかった。
「桃」
「なあに?」
「酷い顔をしているだろう」
あっという間に骨と皮だけになった静流の頬を、桃が撫でる。
「良くなってるよ」
「嘘を吐け」
「あんたに嘘を吐いたことなんて一度もないだろ」
「・・・そうだったな」
それが最期の会話だった。深夜、静流は静かに息を引き取った。桃はそれを、傍でずっと見つめていた。
朝になると、桃は柳に電話をかけた。親友の訃報に柳はすっ飛んできた。静流の家に、桃は居なかった。穏やかな表情で横たわる静流が『有る』だけだった。
葬式は柳が執り行った。参列者に静流の身内は居らず、仕事関係の人間ばかりだった。その中に、雛の姿があった。柳は慌てて雛を捕まえる。
「雛ちゃん! よかった、連絡先がわからなくて困っていたんだが、来てくれたのか」
「はい。椎名さんが亡くなったと新聞で見たので・・・」
「困ったことに、桃ちゃんが見当たらないんだよ。何か知らないかい?」
「実はあたしも、桃を探しているんですぅ」
「君は親友なんだろう? 桃ちゃんの実家とか親戚とか、なんとか連絡つかないかい?」
「あー、えっと、あの子、親に絶縁されてて、親戚もいないので・・・」
「そうか・・・」
柳はがっくりと項垂れる。そして、続けた。
「あいつの弁護士とも話をしたんだが、遺言状の内容が、その、変なんだよ。桃ちゃんが居ないと困るんだ」
「どう変なんですか?」
「うん。あいつが生前言っていた通り、現金と、金になるものは全て金に換えて盲学校に寄付することになっていてね。その、言い方は悪いが、金目の物は全て家に有るんだよ。桃ちゃんは持って行っていないんだ」
「服とか食器も?」
「そうなんだよ。まあ、その他は仕事に関することで、これも円滑に進むから良いとして、だ」
柳はちょいちょいと手を振って雛を呼び寄せる。雛は柳に耳を寄せた。
「あいつの死体に関して、埋葬方法は内縁の妻、桃に一任する、とあるんだ」
「え!? 桃が居ないと、お葬式できないじゃありませんか」
雛が小声で言う。
「そうなんだよ。あいつの家の中を探し回って桃ちゃんに繋がりそうなものを探したんだが、なにも無かったんだ。だから、雛ちゃんを探していたんだよ」
「そうですかぁ・・・」
「しかし、困ったな。雛ちゃんも知らないとなると・・・」
「んん、椎名さんの身内の方に決めてもらうとか・・・」
「あいつの身内は居ないんだよ。ここに居るのは全員、仕事の関係者さ」
「じゃあ、お友達は? 柳さんは親友なんでしょう?」
「ああ・・・。俺以外は戦争で、みんないなくなっちまってな・・・」
「困りましたね・・・。柳さんがなんとかしてあげるしかないのでは?」
「やはり、そうか・・・」
柳は溜息を吐いた。
「実は、知り合いに頼んで、新聞にあいつの訃報を載せたのは俺なんだよ。もしかしたら、桃ちゃんが現れるかもしれないと思ったんだが・・・。こうなったら仕方がない。火葬して、知り合いの寺に預けてもらうよ」
「うん。あたしもそれがいいと思います。桃を見つけたら必ず連絡しますから、それじゃ」
「あっ! 雛ちゃん、君の連絡先を・・・」
雛は人混みの中に消えて、もう見つからなかった。
「はあ・・・。仕方がない。親友だものな」
柳はぼりぼりと後頭部を掻いてから、気持ちを切り替えた。
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