◆3 実可:マンション

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黒い霧のようなものが渦巻いている穴へと、のっぺらぼうに手を引かれて実可は入っていった。 ゼリーの中へと入って行くような物理的な反発を感じたが、歩けなくなるほどではない。ただとにかく霧のせいで真っ暗で、手を引かれていなかったらもっと強い恐怖を感じただろう。 導かれるままただ進んでいると、ふいに腕を握られている感覚が消えた。 あ、と声を出す間もなく霧が消え、目の前に、ある光景が広がっていた。 実可のマンション。 玄関すぐの壁に向かって立っている自分がいた。目の前には、男物のジャケットが掛けてある。バスルームからは、シャワーの音。 細かく震えている手には、名刺が1枚あった。 『結婚式コーディネーター 五嶋朱美』 そう書かれた明朝体の下には、手書きの文字がある。 『式の予定表、最終チェックをお願いします』 実可と吉池のあいだに、結婚の話が出たことはなかった。 最終チェック、ということは、これまでに何度かの打ち合わせをしたに違いない。そして、あとはゴーサインだけ出せば式が行われるということだ。 −−いったい、誰と。 手の震えが、さらにひどくなった。 「おーい、実可ぁー」 そこで、急に声がした。 吉池の声だった。 「石鹸、新しいのないかぁー?」 実可は急いで、名刺をジャケットの胸ポケットに戻し、逃げるようにそこを離れた。
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