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「本気だと言うのなら、ご案内しますけどね」
今一度確認する給仕の姿は、いつの間にか老婆になっていた。ただ、粋な風情はたとえ腰が曲がっていても変わっていない。
実可はと言えば、さっきから立て続けに起こる理解不能な事態に、すっかり感覚が麻痺してしまっていた。
どうやらこの店の従業員は、見た目と正体が別物らしい。
そんなことを、パニックも起こさず受け入れていた。
「化けの皮を被っていたほうが生きやすいことなんて、いくらでもありますよ。それでも、ですかね?」
「それでも、です」
実可は老婆の言葉を反復する。
何度も自分を変えようと、変えたいと思った。でもいざその状況や相手に相対すると、すぐに流されてしまう。
こうなったら、外からの力に頼るしかないのだ。
「お願いします」
「わかりました。そこまで言うのなら」
老婆は頷き、のっぺらぼうに合図した。
「あたしの名前は斐綾と言います。途中でもし帰りたくなったら、あたしの名前を呼んでください。付き添いは、あの望一がします」
老婆はそう言って、カウンターの奥を指さす。
蕎麦打ちの作業台があった筈のその場所には、今では等身大ほどの直径の、トンネルのような真っ黒な穴が開いていた。
のっぺらぼうがその脇に立って手招きしている。
実可は躊躇ってしまい、つい動きが止まった。
そしてすぐに、そんな自分を変えるためにここに来たのだ、と思い直す。
後ろへ後ろへと行きそうになる心を無視し、なんとか一歩を踏み出した。
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