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口裂け女の憂鬱
口裂け女は困惑した。
町を歩く人々がマスクばかりになっている。
まだ花粉症の季節には早すぎる。風邪の季節には遅すぎる。
夕暮れ時に遊びまわる子供たちもまったくいない。そろそろ新学期が始まる季節だというのに。不思議に思って小学校まで覗いてみたが、子供の影は一つもない。大人たちも鬼気迫る表情であちこち駆けまわっているもの以外は家から出てこない。いったい何が起こったのだろう。
口裂け女は落胆した。
こんなに怪異としての自信を無くしてしまったのは初めてだ。
少しずつ人が町に戻ってきたと思ったら、あいかわらずマスクのやつらばかり。声をかけようとしてもさっさと歩いていってしまう。
そもそも近づいてすらくれないのだから「わたし、綺麗?」の「わ」くらいでみんな通り過ぎてしまう。やっとのことでと言えたとしても「これでも?」とマスクに手をかけた瞬間に「やめてください!」と怒られてしまう。
まだ声すらかけていないのに「布マスクですよね!? やめてもらっていいですか!!?」とすごまれてしまった。なにもしてないのに、いったい何をやめればいいのだろうか。
とりあえず「フショクフ・マスク」というものを手に入れないと本当に引退することになりそうだ。他の怪異も同じである。声をかけたり連れ去ったりする怪異は「マスクを着けていない」というだけで怪しまれ避けられてしまうので成果は芳しくなかった。
もちろん、学校の怪異(特に季節・行事系)は驚かす子供も機会もなくなるという悲惨な一年だった。プールの霊は「水泳の授業が中止になり今年は一度も怖がらせられなかった」と言う。ダッシュ婆は高速道路に車がろくに走ってなくてフリーラン状態だったと言う。人がいなくて残念だったけど、久々にひとりで思い切り走れたよ、となんだかちょっと楽しそうな彼女を見て口裂け女の心に何かが芽生えた。
口裂け女は挑戦した。
「フショクフ・マスク」は、「不織布マスク」だということがようやくわかった。
さっそく不織布マスクに変えてみたところ、長時間着用しているとメイクが全部くっついてしまうことがわかった。特に口元を強調するための口紅は発色と比例して落ちやすく感じられる。
こっそり外してみたところ、マスクの裏にもうひとつ口が出来たのかと思って死ぬほどびっくりした。いっそ、こっちのほうが怪異っぽいまである。口裂け女はさらに自信を失いそうになった。
気を取り直して調べてみると、メイクが付きにくいマスクもあるらしい。
さらに店頭には【落ちにくいけどしっかり発色!】【うるうるなのにマスクにつかない】という謳い文句の口紅が・・・・・・否、リップやグロス、ティントが増えたようだ。せっかくなので口裂け女は約40年ぶりに自身の手持ちコスメを見直すことにした。
テスターも唇までとはいかないが、手に試せたらいいのに。薄だいだいの付箋紙ではなんとなく色の感じが違うような気がする。ファンデやチークも落ちにくいのに変えてみたい。このご時世、店員は衛生用品や医薬品の対応に忙しいようでこちらのことはかまわないだろうし、どうせ時間ならたくさんある。
マスクもカワイイものに変えてみようか。最近のは白とか黒以外にもいろんな色があるみたいだ。このレース模様のラベンダー色などカシマさんにも似合うかもしれない。今度、女性怪異でお揃いにしてみようか。
町中がマスクだらけのうちは誰も驚いてくれないんだから。マスク姿が異質になるからこそ、口裂け女は輝けるのである。それまでは。せっかくだし。
口裂け女は、なんだかんだでこの状況を楽しみ始めている。
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