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「……君、君、起きなさい。えーっと……そう、獅々田君だ。ほら」
聞き覚えのある声がする。どこで聞いただろうか。ズキズキと痛む頭を抑えながら、記憶を懸命に辿ろうとする。そう、これは、取材を録音したテープに必ず入っていた声だ。
獅々田の意識は急速に覚醒し、飛び起きた。目の前には、驚愕した自分自身の顔がある。鏡かと一瞬思ったが、獅々田の顔は、獅々田よりも先に口を開いた。
「あぁよかった、もし失敗していたらどうしようかと思っていた所だ。いや、失敗例があったわけじゃないがね」
「その話し方……っ! っ……本当に、入れ替わったんですね」
喉から出た声があまりにもしわがれていたので怯んだが、改めて見た両手は、慣れ親しんだ自分の物とは違う、しわくちゃの白い手だった。紛れもなく、与太河原博士の老いた肉体だ。
「ほら、時間がない。君が気絶している間に、キッチンから適当にいくつか見繕ってきてやったぞ。食べてみなさい」
テーブルの上には、チョコレートやポテトチップス、携帯食料や、様々な甘味ジュースなどが並んでいる。獅々田はその中からチョコレートを手にして、待望の瞬間だというのに、そこまで食欲をそそられないことに気付いた。
(そうか、身体は博士のものだから、老体の胃袋になっているんだ)
気の進まない肉体を抑え込むようにして、獅々田は少し手間取りつつ袋を破り、薄い板チョコに被りつく。その瞬間、初めて味蕾に感じた刺激は、数瞬、彼の思考を停止させた。
「―――」
「どうだね」
「……甘い」
「ほう、初めて食べるのに、それが甘いのだと分かるのかね」
「わかります、えぇ、わかるんです、博士……! すごい、本当にわかる。甘い、このチョコレートはすごく甘い……!」
二口、三口と、口が空になることを恐れるかのように、あっという間にチョコレートを食べ終えた。入れ歯にこびりついた分も舌で惜しむように舐り上げると、喉にべっとりと貼りつくチョコの感覚すらも楽しんだ。
「あぁ、この感覚です。私はこの感触がすごく嫌いだった。粘土を齧って飲み込んだ時と、何ら変わらなかった。でも今は違います。幸せだ、頭の中がしびれるようだ……こんな、こんなものが世の中にあっただなんて」
獅々田は顔面を皺くちゃにして泣きながら、包みに入っていた羊羹を包丁で切って頬張る。博士もまた、彼の様子を、眩しいものでも見るかのように、目を細めて見つめていた。
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