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7
山をくだって屋敷に戻った。
今度は天井裏ではなく、土間から堂々と。
土間は大忙しだった。
かまどの鍋からは湯気があがり、もわっとした熱気の中、さっきよりたくさんの人がパタパタと動き回っていた。
私にお膳拭きを命じた女中のミツが、
「優子様! どこに行ってはったんですか」
と優子に気がつき声をかけてきた。
その後ろにいる私に気付いて一瞬驚いた様子を見せたが、それどころではないらしく、私には何も言わず、優子に顔を向ける。
「もうお食事、始まってます。じいやさんが、青うなって探してはりました。早う着替えて広間に行ってください」
「わかってる」
優子が毅然と答える。背筋をスッと伸ばして、凛然と廊下を歩いていく。
私は、その後ろをついて行く。
宴が開催されている広間の前の廊下を通ると、へだてたふすまの向こうにたくさんの人の気配がした。その人数の多さに驚く。
私たちは、忙しそうに料理を運ぶ女中たちをよけて、離れへと急いだ。
さっきはだれもおらずシンとしていた離れも、ざわざわと人の出入りがあった。
それぞれの部屋は客人の控室のようなものになっているのか、障子のすきまから大きな風呂敷包や、くつろいでいる人が見えた。
一番奥の優子の部屋は、ピシッと障子が閉められていた。
優子が障子をあけると、部屋の中央にある貴婦人の着物が目に入った。
白地に青紫の花が涼やかな着物。
バタバタと足音が響いて、ミツが追いかけてくる。
どっしりとした迫力に一瞬ひるむ。
「さ、早う。お手伝いしますさかい」
「はいはい」
ミツは優子を座らせると、鏡台から櫛を取り出した。
あっという間におさげ髪をほどく。
シャンプーやリンスの人工的な匂いなど少しもしない。
優子の髪は、おひさまの匂いがしそうだ。
細い髪をミツが丁寧に梳いていく。
「そこのあんた」
ミツは、所在無げに立っている私に向かって言った。
鏡越しに、優子がおもしろそうに私に視線を送る。
「その箱から、九月のかんざしを取ってちょうだい」
「は、はい」
文机の上の薄い木箱。ひいおばあちゃんの宝物の箱。
私は、そっとふたをあけた。
十二個の仕切りの中に、十二個のかんざしが佇んでいる。
……はずなのに。
「あれ?」
思わず声がでた。
一つ足りない。
落ちていないかと、キョロキョロ見渡す。
でも、畳の上には、チリ一つ落ちてはいない。
「どうしたの。早うして」
ミツがせかす。
もう一度、上から確認をする。一月が梅、二月が椿……。
なくなっているのは、右の一番上。九月のかんざし。
「九月のかんざし、……ありません」
二人に視線移し、ありのままを報告する。
「え?」
「へ?」
二人は同時にこっちを見た。
私は箱を傾け、二人にも中が見えるようにする。
赤や黄の花が咲き乱れている木箱の、右の一番上だけが浮いたようにガランと広い。
「あら、優子様、どこか持っていかはりました?」
ミツが優子の顔をのぞく。
優子は、「へ?」と言ってこっちを見たときと同じ顔のまま、黙って首を横に振った。
「おかしいですわね」
ミツが立ち上がり、私の手から箱を取った。
「かんざし、なくてもいいけど?」
優子が言うと、ミツは即座に返した。
「あきません」
その剣幕に、ちょっと引いてしまう。
「そのかんざしは、亡くなった大奥様が、旦那様と奥様の婚約を祝って、奥様に贈られた大切なものです。必ず、今日つけてくるように、と奥様からきつく言われております」
「ほな、他の月でも……」
さらに優子が言いかけると、ミツはキッとにらんだ。
「できません。九月のかんざしに合わせて、奥様がお着物用意されたんですから」
「さっきは、全部あったのに」
私がつぶやくと、同じテンションで「さっきっていつですか」と聞いてくる。
私は優子と顔を見合わせつつ、正直に答えた。
「おにぎりを届けたときです」
「その時、他にだれかいはりました?」
「え?」
「あんたさん一人でしたか?」
ミツが射抜くように見る。
もう一度優子と顔を見合わせた。
優子は、大丈夫といった顔で黙ってうなずいた。
「私が一緒やった。ナナミがおにぎり持ってきたとき、私もここにいた。ほんで、かんざしを見せたんや。そのときは全部あった。ほんまや」
「そうですか」
ミツは、箱を畳の上に置いてつぶやいた。
「ほんなら、だれが持っていったんやろ」
私と優子は三度目の顔見合わせをした。
あのときここでかんざしを見たのは、二人じゃなかった。
私と優子ともう一人。
優子も同じことを考えてるんだろう。何度も瞬きをする。
まさか。でも。
そんなことをグルグル考えている顔。
そこに、ミツがすかさず言った。
「他にも、だれかいはったんですか?」
ここで隠し通せるほど、私たちは冷静ではなかった。
顔にでたのだろう。ミツがたたみかける。
「だれかいはったんですな。だれです?」
「……キヨも、一緒やった」
優子が小さく答えた。
「そういえば、キヨ様のお姿、全然見てませんな。お部屋に運んだお昼ご飯も、手つかずのままでしたし」
優子が、ミツの手を払いのけるように叫んだ。
「キヨが盗ったって決まったわけちゃうやん」
「私かって、そんなことは一言も言っとりゃしません。でも、疑いは、はらします。キヨ様に直接確かめます」
ミツは立ち上がると、
「しばらくお待ちください、ここは誰かと交代しますさかい」
と言い放って出ていってしまった。
「どうする?」
先に私が問う。
「どうするもこうするも、ミツより先にキヨ捕まえて、返させんと」
「優ちゃんも、キヨさんが盗ったと思う?」
「わからんけど、多分そやろ」
優子は器用に髪を留めながら、続ける。
「かんざしを見たときの顔、いつもとちごた。なんか変やなあとは思ってん。でもまさか、盗むとは思わへんかった。あの時、もっと強く一緒に行こうって誘えばよかった」
私と優子、それからかんざしの間で視線をさまよわせていたキヨを思い出す。
優子は、スルリとスカートを脱いだ。
「ナナミ。ミツより先に、キヨを見つけて。キヨにかんざし返すように説得して」
「……わかった」
「私は、私のすべきことをするから」
「うん。私も私にできることをするね」
着物にそでを通す優子をおいて、私は部屋を出た。
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