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ガラス戸は全部鍵が閉まっていたけど、母屋につながる渡り廊下のかかりに勝手口があり、そこから中に入れた。
長い廊下を走って優子の部屋へと入る。
押入れを勢いよく開けた。
がらんとした空間の上に、ぽっかりと黒い入口が広がっている。
天井板は外されたままだ。
押入れに入り、天井裏をのぞく。かびと埃の匂いが鼻につく。
真っ暗闇のいくらか先に、小さな灯が見えた。
ゆらゆらと揺れるろうそくの灯。
あそこだ。
あそこにキヨがいる。
躊躇なく天井に上った。
「たくさん常備してある」と言っていた通り、マッチと燭台にのったろうそくが箱に山盛りになっていた。
マッチなんか使い方わからないんだけど。
そう思っても他に方法がないので、おたおたしながらマッチを擦る。
なんとか火がつき、ろうそくへとうつす。
キヨは動かなかった。奥の方で、ペタンと座ったままじっとしている。
私は蜘蛛の巣をよけながら腰をかがめてゆっくりと近づいていく。
なによもう。さっきは蜘蛛の巣なんて、全然なかったのに。
人の気配をさっするのか、蜘蛛があわてて姿を隠す。
このあたりは、優子も通らないコースなのか。
ということは、出口はこっちではない。
かんざしを盗ったキヨは、優子と私のように天井裏を通って屋敷を抜け出そうとしたのだろう。
だけど、出口がわからなくて、きっとずっと今までここにいたのだ。
「見逃してください」
キヨの声は震えていた。
「他には何もいりません。このまま村に帰ります。もう二度とご迷惑はかけませんから」
消えてなくなりそうな声は、聞いていて切なくなる。
「……かんざし、キヨさんが盗ったの?」
「他には何もいりませんから。後生ですから、見逃してください」
「なんで、泥棒なんか」
キヨのろうそくと、私のろうそくの炎がゆらりと揺れる。
キヨと私の影も揺れる。
「泥棒……」
キヨの目が異様に光った。ゾクリした。
「泥棒は、ここの奥様です!」
同じ人物とは思えないほどの、鋭い声だった。
キヨが一歩ひざを進めたので、私は、腰をかがめたまま反射的に一歩下がってしまう。
「このかんざしは、お母様がもらうはずだったものです。お父様との婚約のお祝いにと、おばあ様が特別に注文されたものなんです」
キヨの息が荒い。
ゆらゆらと二人の影が揺れる。
「ずっと、ずっとそんなものはないと思っていたのに……」
言いながらキヨは口の端を少しあげた。
ろうそくの炎の中で、笑っているのだと気付くのに少し時間がかかった。
「母はいつも、寝物語にかんざしの話をしました。一月は梅。二月は椿。それはそれは美しかったと、それはそれは嬉しかったと、何度も何度も聞かされました」
炎のゆらめきが、キヨをいっそう不気味に見せた。
「でも、婚約が解消されたときに、かんざしも返品させられたのだと言っていました。これは、桜井家の嫁になる人が手にすべきものだからと。母は、もう一度あのかんざしを見たい。あのかんざしがほしい。あれさえあれば、お父様との幸せだった時間を思い出して、生きていけるのにと、泣きました」
「キヨさん……」
「私は、そんな話は嘘だと思っていました。生まれたときから貧しい海の家で育った私に、裕福な暮らしをしていた母など想像もできませんでした。お父様にとって母は、ふらりと遠出した時の一夜の遊びだったのだろうと思っていました。だから、この屋敷で私はこんな仕打ちを受けるのだと思っていました。だけど」
キヨは言葉を切った。
ポケットから、そっと包みを出してくる。
使い古されたてぬぐいに大切に包まれた九月のかんざし。
「かんざしは、ちゃんとあった」
キヨがゆっくりと包みをひらく。
「母の話は本当だった」
出てきたのは、桔梗のかんざし。
シャラシャラと音がしそうな小さな花が、幾重にも重なり、青から白の涼しげなグラデーションを作っている。
ひとつひとつの花びらの先はピンととがり、暗がりで見ても、凛とした気品が漂ってくる。
ああ、このかんざしは……。
その瞬間に思い出した。全部。
そう、全部。
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