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次の日は、朝から夏を主張するような暑さだった。
ラッシュが終わるのを待って家を出たのに、新幹線は思ったより混んでいて、バリバリの仕事モードのビジネスマンが張りつめた表情でスマホやパソコンに向き合っていた。家族連れは私たちくらいだ。
三人掛けのシートの窓側に座って、大きく息を吐いた。
汗で首にはりついた髪をかきあげる。
二学期が始まる前にもう少し切ろうと思っていたのに、肩にかかるくらいのびてしまった。
ペットボトルのジュースを一口飲んで、英語の単語帳を取り出す。
夏休みの間ずっと、机の片隅に置いてあっただけの単語帳。
一学期の間に覚えておかなければならなかった横文字の言葉が、少しも頭に入らないままこの手の中にあると思うと気がめいった。
得意の英語をもっと学びたい。
ネイティブの先生も多く、留学もできる憧れの高校だった。
だから、このスカートをはくことができると決まった時、人生で一番幸せだと心から思ったのに。
窓から富士山が見えるようになっても、私の手の中の単語帳は、同じページを行ったり来たりをくり返している。
それを見たからだろうか。
となりに座る母が、ひいおばあちゃんのことをポツリポツリと語り始めた。
「とにかく大きなお屋敷でね。子どもの頃は、遊びに行くたびに迷子になったくらい。部屋が多くて、ここがどこだかわからなくなるのよね」
「へえ」
私は気のない返事をする。
「昔、火事があってお屋敷は小さくなったって聞いてるけど、それでも大きかったなあ。お母さんが小さなころは、家の中に大きなかまどや井戸まであったんだから」
まわりを気にしてか、母の声は低い。そのせいか、ストレートに私に届く。
「村の周りの山はほとんど全部、ひいおばあちゃん家、つまり桜井の本家の持ち物でね。昔は山の木を売ったり育てたりして暮らしてきたみたい。お屋敷には住み込みのお手伝いさんやじいやさんもいて、ごはんの用意も部屋の掃除も、身の回りのことは全部その人たちがしてくれて」
「ほんとに、ドラマみたい」
「うちは普通の家だったから、本家がうらやましくってねえ」
「僕も、初めて行ったときには驚いた」
通路側の席で雑誌を読んでいた父が、口をはさんだ。
父の眉はたれていて、いつだって泣き笑いをしているような顔になる。
この眉毛、残念ながら、しっかり私にも受け継がれている。
自分の顔でどこが一番嫌いかと聞かれると、多分間違いなくこの眉毛だ。
だけど、早くに亡くなった父方の祖母も、その母親(つまり父方のひいおばあちゃん)も眉毛が太かったらしいから、もうどうしようもない。
「どこまでいくんだって不安になるほど山奥にぽっかりと村があって、それを見下ろす高台にお城みたいに桜井家の屋敷が君臨していたからね」
「玄関開けたら、ひいおばあちゃんが着物着て迎えてくれて。時代劇みたいで」
「そうだったねえ。ひいおばあちゃん、僕のこと誰かに似てるってえらくかわいがってくれて……」
話はじめると次々いろんなことを思い出すらしい。
父と母の話は、新幹線を降りるまで続いた。
ひいおじいちゃんが戦争で死んでからは、女手一つで本家を守り、山を管理する会社を興し、戦後の乱伐から山を守ったこと。
海外旅行が好きで、いろんな国に行っていたこと。
寄付などの社会貢献にも積極的で、頼まれればいろんなところに協力をしていたこと。
晩年は足腰こそ弱っていたけど、認知症になることもなく百歳を超える大往生を遂げたこと。
乗り換えた四両編成の普通電車が終点になると、待っていたのは一両編成のワンマンカーだった。
乗りかえるたび電車は小さくなり、その分車窓から見える空が大きくなる。
その解放感とは裏腹に、まともに目を通せなかった単語帳が手の中でずっしりと重い。
結局、単語の一つも覚えないまま、目的の駅に着いた。
小さな改札をくぐると、マイクロバスが一台止まっていた。
桜井家のお通夜に参列する人は乗るように、とかしこまった運転手が言う。
私たちの他にも喪服を着た人が数人、無言でバスに乗っていく。
駅から数分で民家はすぐにとだえ、バスは、大きな川沿いの道をぐねぐねとひたすらに進む。
山あいを流れる川はまだ荒々しい岩が幅をきかせており、水しぶきがそのまわりを白く彩っている。
日はすでに傾きかけ、山肌に濃い影を落としていた。
「お屋敷が見えてきました。もう少しでございます」
運転手の低い声に顔をあげると前方に信号が見え、その向こうに集落が広がっていた。
コンビニや小さなスーパーもあり、暮らしている人は思っているより多そうで、こんな山奥に町がある、といった感じがした。
そして、山あいの高台に、ひいおばあちゃんの屋敷が集落を見下ろすかのように建っていた。
「ナナミ? ナナミっ。大丈夫? あなた、真っ青だわ」
母の声でわれに返った。
もう小さな手も、血まみれの水も消えている。
「う、うん。ちょっと……」
そう言いながら、震える指先を握りしめる。
「……あなた、何か思い出した?」
母の低い声に、ゆっくり顔をあげる。
「どういうこと……?」
同時に、バスが止まった。
「お疲れ様でした。桜井家でございます」
運転手が抑揚のない声で到着を告げた。
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