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襖が取りはずされた広間と呼ぶには大きすぎるほどの座敷には、同じ柄の座布団がびっしりと並び、喪服を着た人たちがバラバラと座っていた。
私たちを見て、一斉に頭を下げる。
見たこともない人たちだけど、親戚なんだろう。
お父さんもお母さんも黙礼したので、あわてて私も真似をした。
中庭に面した一方は全面ガラス戸で、茂った木々のすきまから夕焼け空が見える。
クーラーの温度がかなり低いのか、足元をひんやりとした冷気が通り抜けた。
祭壇は一番奥にあった。
ひいおばあちゃんはもうお棺に入っていて、小さな窓から顔を見ることしかできなかった。
ロウ人形のように白い顔。記憶の中のひいおばあちゃんの顔はとてもぼんやりしていて、本物の顔をみても少しもピンとこない。
小窓越しに手を合わせた後、部屋の隅に三人分並んであいている場所を見つけて座った。
「本家のおじさんたちに挨拶してくるわね」
父と母が連れ立って部屋を出て行く。その姿を見送りながら、私は大きく息を吐いた。
この部屋もこの座布団も、見覚えがある。
窓から見える木々の緑も空の形すら、知っているような気がする。
ふう。
もう一度息を吐きながら、大きく首をふった。
一気によみがえった記憶に、なんだか圧倒されている。
こんなにはっきりと生々しく思い出せるほどのことなのに、ここまですっきり忘れているなんて。
まるで、封印でもされていたみたい。
ゾクリと背中に冷たいものがはしる。
そういえば、母は「何か思い出しちゃった?」と言ったのだ。
もしかして、思い出しちゃいけないことが、ここにはあるのだろうか。
ゆっくりと目だけを動かして周りを見る。
黒い服に身を包んだ人たちは引き詰められた座布団の上にランダムに座り、あれこれ好き勝手に話をしたり、スマホを見たり、経本をめくったりと、お通夜の開始を待っている。
だれも、私を気にしている人はいない。そう思うと少しホッとする。
慣れない電車に長時間乗ったせいか肩の凝りを感じて、首を回した。
部屋の後ろ方のガラス戸が一つ開いていて、同じ年くらいの女の子が腰かけているのが見えた。
おさげ髪の白いブラウス、紺色のスカート。あれって制服?
喪の正装がおさげ髪なんて、さすがど田舎というべき?
なんか昭和の女学生みたい。
そう思っていたら、チラリと目があった。
少し笑ったので、私もあわてて会釈する。
「ゆうちゃん、ちょっと手伝って」
奥の方で声がしたと同時に、女の子がピョンと庭におりた。
そのまま、中庭の奥へと消えていく。
あの子が、あの時のゆうちゃん?
ひいおばあちゃんと同じで、記憶の中のゆうちゃんの顔もあいまいで、はっきりと思い出すことはできない。
なんだろう。風景はこんなにはっきり覚えているのに、人の顔だけがおぼろげだ。
また、新たなバスがついたのか、座敷の人の数が一気に増え始めた。
黒い服をきた大人たちが、あちこちで挨拶を交わしていく。
私の隣にも、見知らぬおばさんたちがおしゃべりをしながら、どっかりと腰をおろした。
「本家の池の事故やろ? 聞いた聞いた。怖いなあ」
白髪のおばさんが、カバンからタオルを取り出して汗を拭く。
「もう十年くらい前らしいけど」
答えたのは、ぽってりと太ったおばさんだ。
「いくら大きな家言うたかて、敷地内に池があるっちゅうのも、考えもんやな」
池の事故? 十年前?
おばさんたちの声が、頭に響く。
水に沈む小さな手。
あっという間に血に染まっていく水。
バスの中で浮かんだ光景がよぎる。
「落ちた子は、まだ小さかったんやて?」
「そうやて。救急車呼んだのに、ほら、ここ山奥やからなかなか到着しなくて」
「あら、可哀そうに」
「一番近い消防署からでも、三十分はかかるわなあ……」
おばさんたちの声が遠ざかっていくのに反比例するように、頭の中の映像が解像度をあげていく。
小さな手は、今まで何かを握っていたかのよう閉じられていて、その先の白いTシャツの袖が水にユラユラとただよっている。
絵具を溶いたような真っ赤な血が白いTシャツを覆っていく。
水は少し濁り、周りは深緑の苔がはえた石で囲われている。
これは、夏の池。
水面には傘のような睡蓮の葉が浮かび、ピンクの花がはじけんばかりに咲いて……。
「ちょっと、あんた、大丈夫か?」
体をゆすられ、目の前の池が消える。
白髪のおばさんが、私の顔をのぞき込んでいた。
「顔色悪いで」
「あ……」
ハアハアと荒い息をもらしながら、それでも聞かずにはいられなかった。
「あの、その子の名前、何て言うんですか?」
「その子?」
「池の事故の……」
おばさんたちは顔を見合わせ、ぽっちゃりとしたおばさんが口を開いた。
「ああ、話聞いてたんやね」
私は、ゆっくりとうなずく。
「名前まではわからんわ。本家の子どもにはみな『優』の字をつけるから、『優』なんとかなんやろうけど、みんな似てるさかいなあ。あんたら知ってる?」
おばさんに話を振られた他のおばさんたちも、神妙な顔で首を横にふった。
あの子も「ゆうちゃん」だった。
ということは、本家の子ということだ。
救急車がなかなかこなかったのなら、助からなかったのかもしれない。
池の事故。
あの子は、池に落ちたのか。
私はそれを見ていたのだろうか。
それとも……。
「あんた、ほんまに大丈夫か? お母さんかお父さんは?」
「……大丈夫……です」
差し出されたおばさんの手をやんわり押しのけて、這うようにその場を離れた。
薄暗い廊下には、ずっと奥まで白黒の幕がはられている。
人がいない所を探して、そっと壁にもたれた。
そうすることで少し楽に息ができる気がして、ゆっくり目を閉じた。
池の事故の子が助からなかったとしたら、さっきの女の子はだれなんだろう。いや、あの子がゆうちゃんなら、助かったってことか。
この廊下の行き止まりを右に曲がれば、古いタイル張りのお風呂がある。
左に行けば外へと続く扉があって、扉を開けると大きく平べったい置石の上に、子ども用のサンダルが二足。
私たちはそこから裏庭に遊びに出た。
池が広がる大きな裏庭。
ああ、私、こんなに明確に覚えている。
それって、それくらい何度もこの家に出入りをしていたってことだ。
だけど、全部忘れていた。
忘れてしまうほどの大きな何か。
それが、池の事故?
廊下の先に人影が見えた。さっきのおさげの女の子。
チラリと私を見て、左に曲がる。
迷わず後に続いた。
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