4

1/2
前へ
/19ページ
次へ

4

黙々とお膳を運び、黙々と拭いているうちに少しずつ頭が整理されてくる。 とにかく、ここは昭和十年、今からかなり昔のひいおばあちゃんの家で、優子という私と同じくらいのお嬢様がいて、今日お見合いをするってことは確かみたいだ。 さらに、私は優子に「お見合い相手の妹」に間違えられ、おじいさんには手伝いの女中に間違えられている。 それと、今はまだ午前中だってこと。 わかっているのは、それくらい。 この先、私はどうしたらいいんだろう。 どうやったら、元の世界に帰れるんだろう。 夢ならもういいかげんに覚めてほしいとため息をついたとき、後ろから声をかけられた。 「あの……、お手伝いします」 振り返ると、同じくらいか少し年下の女の子が立っていた。 おかっぱに切りそろえた髪。どこか懐かしい感じがする少したれ気味の太い眉。 力なく見えるのはほっそりとした顔立ちからか、それとも青白い頬の色の印象か。 この子は着物ではなく、優子が着ていたような、レトロな雰囲気のピンクのワンピースを着ていた。 妙に膨らんだフレアスカートも、大きめの丸襟も、私から見たらかなりイケテない感じだったけど、よく似合ってはいた。 「あ、ありがとう」 女の子は隣りにすっと座ると、だまってお膳を拭きはじめた。 開いた窓から時折すうっと涼やかな風が入ってくる。 何も話すことはなく、ただ窓の外の鳥の声を聞きながら二人でお膳を拭いていく。 金箔があしらわれた高そうなお膳。 「私、キヨって言います」 「え?」 顔をあげると、キヨがおずおずと笑った。 「あなたは? 新入りの女中さん?」 「そうでもないんだけど……」 「お名前は?」 「ナナミ」 「私もこのお屋敷にきて、まだ半年なの。ナナミさん、どうか私とも仲良くしてね」 「……はあ、まあ、できるなら」 私があいまい答えると、キヨはパッと嬉しそうに笑った。 「いけません、キヨ様っ」 声と同時に、さっきの女中がすごい勢いでキヨのてぬぐいとお膳を取り上げた。 「ミツ……さん」 キヨが、おびえた目でミツを見上げる。 「どうぞ、ミツ、とお呼び捨てください」 ミツはそう言って、取り上げたてぬぐいで取り上げたお膳を手早く拭くと、畳の上に置いた。 「女中仕事なんかさせたら、あなた様がよくても私が旦那様に叱られます」 それから私をギロリとにらむ。 「この人はこの家のお嬢様や。お膳拭きなんか手伝わせたらあかん。山晋さんとことちごて、ここは桜井家やさかいな。洋服着てるんは、お嬢さまか奥様だけや」 そう言って、キヨのてぬぐいを乱暴に私に押しつけ、大きな体を揺らしながら行ってしまった。 あっけにとられている私の横で、キヨはうつむいて小さくなっていた。 「……ごめんなさい」 泣きそうな声であやまられても、私は今それどころではないのだ。 目の前のキヨさんやミツさんが、何を言ってこようが知ったこっちゃないというのが、正直なところだった。 だけど……。 「嫌な思いを……させてしまい……」 うつむいて小さくなっているキヨを、無視することはできそうになかった。 「あ、うん。大丈夫だから。気にしないで」 「でも……」 キヨは、すがるように顔をあげた。 たれ気味の太い眉が、悲壮感を増幅させているように見える。 「えっと、あなたも、この家のお嬢様なの?」 私が聞くとキヨは目をそらし、それから小さくうなずいた。 「……ですが、いろいろあって……」 そこまで言うとだまりこみ、大きく一度息を吸うと、まっすぐに私を見た。 「きっと、すぐに私のことあれこれ聞くと思うので、自分から言っておきます」 「はあ……」 顔はキヨの方に向けたまま、横に並んだままのお膳に手を伸ばす。 ミツに「拭いておくように」と言われたお膳は、まだズラリとならんだままだ。 「私は、この家で生まれ育ったわけではないのです」 「そうなんだ」 適当に相槌を打ちながら、手を動かしていく。 「さっきも言ったみたいに半年前に初めて来たんです。それまでは、母と二人でF県の海辺の町に暮らしていました」 母と二人で? どういうこと? 別居?  と思っていたら、キヨが続けた。 「お兄様の優一郎様や優子様とは、腹違いの兄妹になるのです」  それって、父親が浮気をしたってこと? それとも、お妾さんってヤツ? ここは昭和十年。こういうこがよくある話なのか、そうでもないことなのか、全然わからない。 だまっていると、キヨが口を開く。 「昔、私の母は、大きな商家の娘だったのだそうです。この川を下った先の宿場町で、大きな商いをしていたと聞いています」 どんな相槌を打ったらいいのかわからず、私はひたすらお膳を拭き続ける。 「そこで、お父様に見初められ、この桜井家に嫁ぐことが決まっていたのだそうです。なのにお商売に失敗し、母の家は没落。婚約もなかったことになりました」 長い間片付けられたままだったのか、金箔のお膳にはうっすら埃がつもっている。てぬぐいですみずみまで丁寧に拭いていく。 「その後、お父様は今の奥様と結婚されました。私の母は親戚を頼ってF県へ移り、漁の手伝いをしたり、浜仕事の手伝いをしたりして暮らしていました」 一膳一膳、拭きあげられたお膳が積まれていく。 「……ある日、近くの町で、偶然母とお父様は再会しました。そして生まれたのが私です」 そこまで言葉にした後、キヨは大きく息を吐いた。 吐くことで重い何かをも体から追い出そうとしているみたいに。 部屋はしんと静まり返った。 私は、手を止めない。 「半年前に母が死に、お父様は私に屋敷で一緒に暮らすよう、言ってくださったのです。でも……」 キヨは言葉を切った。 その先を言葉にすることを恐れているかのように、何度も言いかけてはやめるを繰り返し、やがて、絞り出すように声を出した。 「私は、ここに来るべきではなかった……」 キヨが来てすぐ、兄の優一郎が病に倒れたこと、女中頭が大けがをしたこと、雇っていた職人が仕事場の事故で死んだこと。 そうでなくてもキヨのことを歓迎していなかった義母が、それ以降キヨを「疫病神」と呼び、忌み嫌い始めたこと。 それは、義母だけでなく女中や職人たち、はては村の人たちにもひろがり、「死んだ母の呪い」だという噂までたっていること。 「……母は、そんな人ではありません。お父様のことを心の底から大切に思っていましたし、だからこそ、遠くからではありますが、お父様のご家族である奥様や優一郎様、優子様のことも大切に思っていました。恨むなんて、呪うなんて、とんでもないことです」 いつのまにかお膳はすべて拭きあがり、私は最後の一膳を何度も何度も拭いていた。 ドラマで見るようなお屋敷で、ドラマで見るような確執。 ほんとにあるんだなあ。 切実なキヨの話を、私は他人事に聞いていることを自覚していた。 「だから……」 キヨが言いかけたとき、廊下からミツの声がした。 「ちょっと、あんた。そっちが終わったら、これを運んどくれ」 「はいっ」 反射的に返事をしてしまう。 口をつぐんだキヨが、「どうぞ行って」と目で合図をくれる。 こんな形で話を途中でやめていいのかという気持ちと、長い話から解放される安堵と、そのどちらもを感じながら、私はゆっくり立ち上がった。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加