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   ――怖い。 バスの窓からお屋敷が見えた瞬間、そう思った。 見えたのは、ひいおばあちゃんのお屋敷。山あいの高台に建つ古めかしい日本家屋。ひいおばあちゃんの家なんて記憶にあるはずがないって思っていたけど、私は確かにここを知っている。 「どうした、ナナミ。バスに酔ったか?」 前の座席に座っていた父がふりかえる。太い眉が心配そうにたれる。 「ううん、なんでもない」 適当に答えて、もう一度窓の外を見る。 なんだろう。この怖さ。 単純に古いから? ミステリーでも、ホラーでも舞台になってしまいそうに古めかしい。 でも、ちょっと違う。もっと生々しい怖さ。 バスは駅を出てからもうずいぶんと走り続けていた。荒々しい川に沿った道は曲がりくねり、山を一つ越えたころにひとつの町に出た。それが、お母さんが「桜井の本家」と呼ぶ、ひいおばあちゃんの屋敷がある町だった。 バスは右に左に道を曲がり、高台にある屋敷に向かってゆっくりと坂道をのぼっていく。 やっぱり怖い。 指先がつめたくなっているのがわかる。 息を吸うことすら難しいような気がして、思わず胸を押さえて目をつむった。 そこに、ふっと、何かが見えた。  小さな手。 何?  あわてて目を開ける。 心臓がドクドクと音をたてている。胸をおさえた冷たい手が震える。 小さな手と真っ赤な血。 気が付いてしまうと、目を開けていてもその場面が見えてくる。 小さな手は、みるみる水に沈んでゆく。 水が、あっという間に血に染まってゆく。   何これ? ハアハアと自分の浅い呼吸だけが、響く。 「ひいおばあちゃん、亡くなったんだって」 昨日の夜遅く、母が部屋に来た。泣いていたのか目が赤い。 「ひいおばあちゃん? 私にひいおばあちゃんなんていたの?」 私は、パジャマのまま振り返る。 「うん。あなたが小さい頃は何度か遊びに行ったんだけどね」 お風呂あがりで化粧っ気のない母の顔は、いつもよりちょっと小さく見える。 「お母さんのお婆ちゃんだから、ナナミにとっては母の母の母になるかな。百歳越えても変わらず元気だって言ってたんだけど」 「そんな話聞いたことないんだけど」 私が口をとがらせると、母は、すっと視線をそらせた。 「まあ、いろいろあったからね。小学校に上がる前が最後になっちゃったかな。あれから十年。結局、ナナミは忘れたままだったしね」 「小学校に上がる前って、保育園ってことでしょう。普通そんな昔のことなんて、覚えてないって」 「まあね」 母は、少しホッとしたように微笑む。 「お葬式、ナナミも一緒に行こうよ」 「え? いいよ。一人で留守番できるし。それに……」 机の横にかけられたままの通学バッグに目をやる。 「明日から、二学期始まるし」 母は同じようにバッグに視線を送り、それから、腰に手をあてた。 「まあ、そう言わずに。この機会を逃したら、きっともう行くこともないだろうし。それに、ひいおばあちゃん、あなたのこととてもかわいがっていたんだから。お別れしてあげてよ」 「でも……」 「お父さんもお母さんも、仕事休みとったし、三人で行きましょう。お父さんもそう言ってる。ナナミももう高校生。きっともう大丈夫だから」 「大丈夫って何が?」 「まあ、いろいろかな。古い大きなお屋敷なのよ。ドラマにでてきそうなくらい」 「まじ?」 聞けば、ひいおばあちゃん家は気が遠くなるほど遠かった。新幹線といくつかの在来線を乗り継ぎ、さらにバスで三十分という山奥にあると言う。 「めんどくさいなあ」 言いながらも、クローゼットを開ける。 エンブレムのついた白いカッターシャツに伝統の三段ボックスのひだスカート。憧れていた制服が、ピンと背筋をはってハンガーにかかっている。   今は、それが重い。 無意識にため息がでた。 覚えてもいないひいおばあちゃんとのお別れに行こうと決めたのは、明日からまた始まる高校生活から逃げたいと思ってるからだ。 久しぶりに出してきた制服は、学校ではなくお葬式のためにそでを通される。 そのことにホッとしている自分がいた。
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