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風水師の詐欺事件?
あれから数週間たった頃だ。叔父から電話が来た。
「やられたよ……」
「どうしたのさ、叔父さん」
元気のない叔父の声になにがあったのか、僕の胸の鼓動がはやまってきた。
「今夜、飲みながら話そう。明日から一週間ほど勤務しなくていいんだ」
それから叔父のいきつけのスナックで詳細を聞いた。ママと最近入ったばかりだという二十歳くらいの女性のふたりでしているこじんまりとした店だった。平日だったせいか、お客もまだいなかった。
内容は、朝から貧相な顔をした会社の社長だという老齢の男がやってきたという。髪は白髪でボサボサ、いかにも資金ぐりに困窮しているようにみえたらしい。しばらく融資の相談をし、のちほど連絡しますといって男を帰したあと、審査をしながら支店長室にこもり、易占いをした。結果は「天沢履」。虎の尾を踏むが、礼節をもってすれば事は成されるという暗示だ。なんだかよくわからない。
変卦をみてみると、「風沢中孚」で誠実であれという暗示。
審査ではよしとでたが、伯父はみた目の判断で融資しないことにした。易や審査は融資OKとでてはいるが、あれほどみすぼらしい男の会社が今後うまくいくはずがない。虎の尾を踏むということはかなり危険なことだということで、奉仕的な心で融資をすることが、誠実だということなのだろうと伯父は解釈をした。つまり、利益を度外視した〝博愛融資〟になると、とったのだ。
それから一週間後、本店からやってきた人事部長の舛原から、私の降格人事が告げられた。伯父は役職なしの行員として、ある支店に転勤することになったのだ。
「営業成績は伸びている。その私になんの落ち度があったというのですか?」
伯父は、舛原にくいついたという。
そこへ、一人の男がドアをあけてあらわれた。まさしく、貧相な外見が理由で融資を断った男だった。しかし、前回と違い、きりっとしたス―ツ姿でみだしなみが整っていた。男は無言で名刺を私にさしだした。名刺には、『企業内務調査員・虎野尾太郎』とある。聞けば、さまざまな会社の勤務実態を調査するのが仕事らしい。
「あなたの評判はほかの行員からも聞いています。あなたは融資を決めるときも占いで決めているそうですね」
虎野の嘲笑が、伯父の胸のなかに渦巻いて、伯父の脳裏には、「山風蠱」という卦が浮かんできた。つまりは獅子心中の虫。伯父の臓腑を這いずりまわる怪異な虫たち。突然吐き気をもよおした伯父は、舛原の顔面に思わず嘔吐してしまったのだという。
がっくりと気落ちしている伯父に、効き目のありそうな風水をすすめてみた。まずはトイレの掃除。自宅以外のトイレを使用したときにも簡単に掃除をすることがコツだ。それと家や敷地の大掃除と整理整頓。それから家の東北と南西の鬼門と、玄関、トイレへの粗塩と炭を置くこと。それから、現在、大吉方位になっている北西への長距離の旅行だった。その旅行先では歴史のある神社に朝と夜、三日続けて参拝することを話した。
「今はどんなことでもやるさ。勝雄のアドバイスしてくれたことをとにかくやってみるさ」
それから数週間後のこと、伯父が元気はつらつな声で電話をかけてきた。
「勝雄、やったよ!」
「なんか嬉しそうだね。どうしたの?」
「銀行の支店長に復職できたんだ。なんでも、取締役会で、おとり捜査まがいのやり方で降格させたことが問題になったらしい。なんでも、人事部長の枡原の仕事の仕方が強引すぎて、会長のご不興を買ったらしい」
「叔父さん、よかったね。北西は神仏や目上の方位だからね。バックアップしてくれる運気がついたんだね」
「いやぁ、とにかくありがとう。ボーナスをもらったら、おまえの欲しいものを贈らせてもらうよ」
このようなことがあって、伯父はいたるところでこの話をしたらしい。風水をやっても結果がおもわしくないこともあるから、伯父はもともと強運でもあったのだと思うけれど、素直に人の話を聞いて実践したからだとも思った。
それ以来、僕の得意技は風水、ということになったのだ。風水とは中国四千年の歴史のなかで生まれ、環境などをみる学問で、今もブームは続いているし、書店でも風水本が多数置かれている。
二年前に姉の春美が病に倒れた。健康には気をつていたはずの春美が、検査の結果、初期の胃ガンと診断されたのだ。父は姉に正直に告知した。
僕の母も乳癌で亡くなっている。父は自衛官を定年退職後、駐車場に再就職していたが、その仕事を辞め、母にずっとつきそってともに病と戦っていた。
姉は、以前勤めていた外資系保険会社のガン保険にもはいっていたし、いつか喫茶店を開こうということで、開店資金もためていた。
あわてて仕事を辞めてから、内視鏡で切除するという簡単な手術ですみ、社会復帰もすぐにできるとわかった。
姉の髪は濃い茶色。二人がならんで立つと、姉の頭は僕の胸くらいの位置になる。胸は僕の大きな手のひらにかくれるほどだが、青すぎて食指が動かない果実のようでも、淫靡な思いを誘う形でもない。褐色の肌は健康的で、いまでもガンになったということが信じられない。春美が姉でなければ、恋してしまったかもしれない。
僕は今日も姉の喫茶店にやってきた。姉の手伝いをするためだ。
僕は昨夜はじめていた水だしコーヒーのようすをみていた。水だしコーヒーはやたらと時間がかかるものだから、いつも前日からはじめていた。時計の針が午後四時を少しまわった頃だ。いつもは姉が一人でやるのだが、大学も休講なので、昨夜から手伝っていたのだ。
外は、煮え切らない雨がとぼとぼと降っていた。
チャリーンという呼び鈴の音が聞こえた。ドアにつけられた、ひまわりの花の形をした呼び鈴だ。
「いらっしゃい」
奥の厨房にいた僕の耳に、姉の低いが、親しみをこめた声が聞こえてきた。
僕は手をやすめずにいたが、しばらくすると、姉が少し顔をこわばらせて厨房にやってきた。
「どうしたんだ?」
「勝雄に風水の相談があるって、女の人がきているよ」
「僕に……?」
カウンターをみると、若い女性が暗い顔をしてややうつむいているのがみえた。二十代後半くらいだろうか、黒っぽい色のワンピースを着ていた。
すでにだされているコーヒーには、まだ口もつけていないようだ。
僕ば大学にもいかず、姉のお見舞以外はすることもなく、いままで興味もなかったはずの風水や神道にはまりこんでいた。
たまたまみていたテレビの、風水によって幸運になるという番組をみて、ひまつぶしで書店で数冊風水関連の本を買って読み、僕の家の家相が病気を招くらしいとわかって夢中になって読んだ。
もともと僕の家系は、霊感の強い人が多く、僕自身も不思議な体験を幼い頃から体験していたので、不可解な出来事はあたりまえのことだと思っていた。だから、とくに本を買ってまで怪しげな世界に浸ろうとは思っていなかった。また、占いなどという依頼心をそそるものには批判的でもあった。
しかし、人は不思議なもので、なにか壁にぶつかると、目にみえないなにかに心ひかれてしまうものだ。僕も姉のことがなかったら、風水に気をひかれることはなかったろう。 しかし、姉が倒れるまえからトラブルは続いていた。ドライブしているとき、横から飛び出てきた車と接触した。おたがいにケガはしなかったが、両方の車両は大破した。しまいには体力には自信のあった僕までが胃潰瘍になっていた。
それから藁をもつかむような思いで、本と自分の直感をまぜあわせて、自分なりに解釈した風水をやり、神社参拝もはじめた。その後、たしかに運もよくなってきているようだ。なにかツキが上向いてきている感じがする。
常連客にも、ときおり風水の話題や相談をうけていたから、たぶん、そのお客の誰かから話を聞いてきたのだろう。
それにしても、深刻そうな顔をしている女性をみて、少々話を聞くのが憂鬱になった。いくら風水にこっているとはいえ、あくまで自己流なものだし、遊び半分でやっていることなのだから、人の一生を左右するようなことには首をつっこみたくはない。いったいどこのどいつなんだ、僕に相談しろと言ったやつは。
なかなか女性客のところにいかないでいると、
「ねえ、話にのってやってよ。なにかとても深刻そうだけど」
と、姉が小声で言った。面倒だが仕方ない。なるべく顔をやわらかくして、その女のまえにいった。
「どうしました。まあ、席を奥にうつしてお話を聞きましょう」
お客もいないので、しばらく閉店の看板にかえ、ドアにかぎをかけてじっくりと話を聞くことにした。
しばらく無言でいた女は、コーヒーをひと口すすると、
「おいしい……」
と言って、ほんの少し顔を赤らめた。そうだろう、僕が勉強と直感でブレンドした風水ブレンドだからな。このブレンドは誰にも内緒だ。ブレンドする量はメモしてあるが、季節によってほんの少しかえる。曜日によっても、時間によってもかえている。つまり、人の心情にあわせたブレンドをしているのだ。朝は濃いめに、夜は薄めにというぐあいだ。春は春、冬には冬の心情にあわせたものにしている。
姉は情があつく、人の気持ち察することができる人だから、お客をみて何種類にもわけてある、気分の沈んだときにだす風水ブレンドをだしたはずだ。ほんのすこし洋酒がはいっている。コーヒーの豆は神棚にしばらく置いて、清廉な気を染みこませるようにしている。そこまでしなくてもと思ったが、姉は神道神社が大好きで、姉の部屋にも、不釣り合いな感じをうける豪華な神棚を祀っている。
毎日、神棚に拝礼しているし、日本じゅうの神社に参拝するようになった。
風水の本を読むと、神道の神々を敬いなさいと書かれている。たとえ凶方位を犯したとしても、真摯に神に祈ることで災いを解消させることができるというが、身勝手な願いは当然だめらしい。
店は極力風水で吉となるような設計がなされている。店の中心を基点として、店の外側の南南東、真西、北北東に小さな張り出しを設けたのは、金運を高めるためだ。
しばらく風水ブレンドを味わっていた女の顔色がしだいによくなってきたようなので、すかさず名前を尋ねてみた。
「川名佐恵子です。この店の常連客の人からあなたのお話を聞いて、一度相談してみようと思ったんです」
佐恵子の重い口がようやくとひらかれはじめた。
「私……詐欺にあったんです」
「詐欺……ですか。それなら警察にいったほうがいいんじゃないかな」
僕はあらためて佐恵子の姿をみつめた。
詐欺。結婚詐欺だろうか。それならなんとなく警察にいくのも気遅れするかもしれない。しかし、僕好みの面立ちではないが、わりと美人で肉感的なボディだ。目のあたりなど、ゾクッとするような色気を感じさせる。男性の誘いがまったくないとは思えない。
「僕は日頃、雑談のなかで風水や占いの話をしているだけの素人ですよ。そんな僕があなたの力になれるとは思えないな」
「ええ、実は、風水師にだまされたもので、参考までにあなたのお話を聞いてみたいと思ったのです。どれくらいあの風水師の言っていたことが正しかったのか……」
風水師と詐欺……。あまりピンとこない。風水を極めた人は、風水は占いではなく、環境学であるという。一般に家相や方角などもみるから、占いと思われている。まあ、いずれにせよ、見立てがはずれたからといってそれを詐欺とはいえない。
「風水師と建築業者がつるんでいたように思うんです」
「う~ん。とにかくはじめから話していただけませんか」
僕の気持ちを見透かしたような言葉に、しだいに興味をもちはじめ、いつのまにかしっかりと佐恵子の話を聞いていた。
佐恵子の話によると、父親は一部上場企業の役員をしていて、経済的には安定しているが、母親の病気がちや、自分自身の恋愛運のなさに悩んでいたという。
「母は入院や退院をくりかえしていますし、私も、いい人があらわれたと思っていると、いつもなんらかの邪魔がはいってだめになってしまうんです。たとえばおたがいに心がかよいはじめると、相手が遠いところに転勤したり、突然事故にあって亡くなったり……。
そんなある日、『風水・開運相談』というチラシが新聞にはいっていて、相談する旅館にいってうけてみたのです。そうしたら、私の顔をみて、『あなたのご家族のなかに病気がちの人がいますね、そしてあなたも恋愛がうまくいっていないようだ』とおっしゃって、もう、完全に信じてしまったんです。それで、家相があまりに悪すぎる。改築したほうがいいと言われて、改築を承諾したら翌日には建設業者がやってきて、家をあちこちみたあとで、その日のうちに見積りをだし、急かされるようにして、数日後に百五十万を渡したあと、まったく連絡がつかなくなったのです。見積りをもらった日に電話したときは受付の人がいたのですけどね。私もなにか妙だと思ったんですけど、家や私のことをあてられたので、つい……」
「そうでしたか……まさに詐欺ですね。見立てについては、たぶん、あなたの顔にでているニキビをみて判断したのかもしれない。ニキビといっても若い人だけにでるものではなく、環境や精神状態からニキビが顔にでることがあるんです。よくみると白ニキビとつぶれニキビがでています。白ニキビは長患いの人が家にいるときに、つぶれニキビは対人関係で悩んでいるときにでるそうです。そう、鼻のうえのほうにあるやつですね。それと、相談にいったとき、今日とおなじような黒っぽい服を着ていきませんでしたか?」
「はい、そのとおりです。なぜそんなことがわかるんですか?」
佐恵子は不思議そうな顔で私をみつめた。
「風水では黒っぽい服装を好んでいつもしていると、恋愛関係がうまくいかなくなるとされています。黒色は、別名死色といわれるお弔いの色です。黒色の服装ばかりだと運気が落ち、性格も内気になり、行動力がなくなると本には書かれているのです。不思議なことに、運やツキのない人というのは不運になるように動いていくものなんですね。家相の悪い家に引っ越したり、方角の悪いところに転勤したり、不運になる服装を着たりね。反対に運のいい人は風水を知らなくても自然にツキのあることをしている。みんな意識せずに運を選択しているんです」
「そうなんですか……」
佐恵子は自分の服装をにらむようにみまわしたあと、ひとつ大きなため息をついた。
「まあ、あまり気にしないことです。ほかの占い、たとえば東洋九
星占術での一白水星という星の人は、黒がラッキーカラーなんです
よ。赤や明るい色の服装をしていると、気分も華やかになるってい
うことなんでしょう」
「あら、ほかの占いにも詳しいんですか?」
「広く浅くがモットーなので、一時期ひまだったからさまざまな占星術の本を読破したんですよ。四柱推命や天中殺で有名な算命学、西洋占星術、手相からマヤ、バリ、タロットにトランプ占い、血液型、易、とにかくなんでもやりましたよ。だから、いろんな占いの共通点や違う点がわかって、かえって客観的になれるんです。ほかの占いは悪い時期や幸運な時期をだすだけなんだけど、風水は悪いときにも開運できるものなんです。僕はどの占いも極めていないけど、運命はかえられるものだと思っていますよ」
さきほどまで暗かった佐恵子も、何度か笑顔をみせるようになっていた。もう一息で彼女の心を解放してやれるなと思った。
「そうだ、占いにはまっているやつと、批判的でおもしろいやつがそろそろくるはずなんだ。あなたは聞いているだけでもいいから一緒につきあいませんか?」
「ええ」
「ところでまだ話が終わっていませんでしたね。風水師と建設業者
はどんなやつでしたか?」
「はい、そういえば風水師の人からもらった名刺があります」
佐恵子はそう言って、名刺をテーブルの上に置いた。
名刺には、『日本風水学会会員・緑谷一郎』。
住所は宮城県の名取。電話番号も記載されていた。
「風水師の人は紺のスーツを着て、黒のふちどりのメガネをかけていて、髪は七、三に分けられていました。わりとやせぎみで、顔つきや声は穏やかな感じをうけました。建築業者の人は、もう少し若くて竹谷工務店と刺繍された作業服を着ていました。この人は見積もりをだすと一人で帰っていきました」
「ところで、今日、佐恵子さんの家の間取り図面をもってきましたか?」
「はい、風水の人にもみせたものです」
佐恵子は黒色のバックから、家の間取り図をとりだした。
「バックも黒か……」
黒は心のやましい人や、なにかを隠そうとしている人もよく身につけたがるんだが、とは思ったが、そのとき佐恵子はなぜか僕の言葉に、ピクッと体をなめくじのように震わせた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なにも……」
なにか妙だとは思ったが、とにかく佐恵子のとりだしたその図面をじっくりとながめた。 風水でみると、キッチンとトイレが家の中央にある。これは病気がちの家の家相だ。西側の出入り口は恋愛運を悪くするものだ。
「たしかに、家相的にはよくありません。ただ、あなたの父親は不審に思わなかったのですか?」
「ええ、父は最後まで反対でした。ですが、私には甘い父ですので最後にはおれて、資金をだしてくれたんです」
ふつうに考えればおかしいことは誰にでもわかる。だいたい改築費が全部前払いなんて聞いたことがない。風水師が建築業者を紹介するのも変な話だ。
相談に気をとられていると、店のドアをたたく音が聞こえた。
みれば国安で石岡も一緒にいた。
僕はドアをあけて、二人をなかにいれた。
「田辺、お安くないな、美人と二人きりとは」
国安は僕と佐恵子の二人をみて、勝手なことをまくしたてた。まったく遠慮というものを知らない。
「変な勘ぐりはやめろよ、姉さんも厨房にいるよ」
「あらあら、国安さん、石岡さんいらっしゃい。いまちょっと風水相談をしていたの」
騒々しい雰囲気に、ようすをみに姉の春美がやってきた。
「風水相談?」
石岡がひげ面をなでながら言った。
「そうなんだ。こちらが佐恵子さん。さっき話したしょうもないやつらというのがこの二人だ」
「しょうもない?」
「なにい!」
石岡と国安は交互に顔をみあわした。
「まあまあ、みなさん、ただいまあたたかいコーヒーでもだしますから」
姉の笑顔が、険悪になりかけた雰囲気をやわらげてくれた。
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