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思いのほかダメージは大きく、一晩経っても心の痛みはじゅくじゅくと痛み続ける。
どんなに私一人が悲しくても辛くても朝が来て1日が始まる。
重い体をなんとか動かして支度をはじめる。
「お姉ちゃんご飯は?」
「食欲がないから」
「風邪?大丈夫?」
家族には心配をかけさせたくなくて表情筋に全勢力を集中させる。
ニッコリと笑って「大丈夫、ちょっと胃がもたれているだけだから」と答えると、妹はホッとした表情になった。
「よかった、実は今日の夜に恋人が挨拶に来るんだ」
恋人?朱夏に恋人がいたの?
大学生だし居たとしてもおかしくはない、だけど、女三人が住むこの狭い部屋に呼んだとしてもプライベートなんて確保できないのに。
もしかすると交際宣言的なものなのかしら?だとすると
とても誠実な人だ
私の時は高校生の時に両親が離婚して母を助けるためにアルバイトをして大学は新聞奨学生だったから朝刊を配って大学に行って急いで帰ると夕刊の配達、夕食をいただいた後は翌朝の折込チラシの準備をして寮に帰るとお風呂に入ってノートのまとめをする。午前3時には起きないといけないから10時には就寝、日曜日は夕刊がないからレポートなどを仕上げたりで全く楽しいことはなかった。
だから、朱夏には学生らしい生活を送ってもらいたいと思いつつも年頃に見合った青春をおくる妹を見ると
ジワリと黒いものが胸の奥に広がる。
左手を見ると薬指にはうっすらと筋が残っている。
あのリングは郵送で送り返そう。
「じゃあ今日は早く帰るようにするね」
そう言って家を出ても、誠実そうに見えた男がそうでなかった、結婚したいと思う人がいながら合コンに行き浮気をするような人だった、それがわからなかった自分にも言いようのない怒りや悲しみがある。
父親のような男は真平だったのに
綺麗だった母はあの男のせいで窶(やつ)れていった。
少なくとも、妊娠させた事の責任をとるのは良かった・・・
良くないし
そもそも、その時だけだったなんて嘘に決まってる。
あああもう、頭と心がついていかない
・・ま
そうま
「相馬?」
ひゃあっ
急にかけられた声に驚いて変な声が出た。
目の前のディスプレイには果てしのない“J”の文字が何かの呪いのように文書作成ソフトのページを埋め尽くしていた。ホームポジションに置かれた指の人差し指に力が入っていたんだろう。
「どうした?」
声の主を振り返るとそこには諏訪課長が呪いの画面を見ていた。
「すいません、すこしぼんやりしていたようです」
「体調が悪いなら帰っていいぞ」
諏訪課長は32歳独身、甘いルックスで女性からの人気も高いがそれ以上に仕事に対しての能力が高く補佐をしている私は非常に仕事がしやすい。
指示は的確で叱るときは叱るが正しく出来れば褒めてくれるしなによりも公平な人で男性社員にも慕われているのが分かる。
モテるのは当たり前なんだろうと思うが、それだけにこんな人が恋人だと毎日が不安になるんだろうなと思っていたが、恋人に裏切られた今となってはこんな人の恋人なんて絶対に嫌だと思った。
向こうだって私なんか嫌だと言うと思うけど。
それよりも、仕事中にトリップしていたなんて。
「大丈夫です、すみませんでした」
そう言って、呪いの部分を範囲指定してdeleteで消すと作業を再開した。
諏訪課長はそんな私を見て「無理をするなよ」と声をかけてから席に戻っていった。
手にはカップを持っていたから、自分で飲み物を淹れてきたんだろう。
気を抜くと意識が飛ぶことをに気をつけながら進める作業はことの他精神と体力を奪う。
急ぎの書類だけ仕上げると就業時間が少し過ぎていた。諏訪課長に挨拶をすると「ゆっくり休めよ」と声をかけられた。
朱夏の彼が来る。
正直、妹だとしても色恋の話は聞きたくない。
かと言って来ると言われているのに会わない訳にはいかない。
「はぁ」
ため息を一つ吐いて歩き出す。
人は見かけによらない。
悠也があんな人だったなんて、父だって子供の頃は優しくて大人にとってつまらない話でもニコニコと聞いてくれる人だった、いわゆるイケメンとかそう言うのじゃ無いけど大好きだった。
でも自分よりも二回りも年下の女に入れ込んで家庭を壊すような男だった。
部屋の前でもう一度大きく深呼吸する。
私の事情は朱夏や彼には関係ないんだから。
笑顔、笑顔!
朱夏に心配をかけてはいけない。
ドアを開けて「ただいま」といいながら部屋に入った。
「おかえりお姉ちゃん。お母さんは急遽休みになった人が居て少し遅くなるって、お姉ちゃんが居てくれるからよかった」
そういう朱夏はソワソワしているが彼が遊びに来るという感じではなく、なんとなく緊張しているように見える。
彼を家族に紹介するってこんな感じなんだろうか?本当なら、悠也がここに来て母に挨拶をしたんだろうけど・・・もう起こることのない事を考えるのは良そう。
着替えを済ませるとキッチンでウロウロしている朱夏に買い置きしていたお菓子とお茶の準備をするように伝えたところでチャイムが鳴った。
「私が出るから、朱夏は準備して」
「う・・・ん」
「どうしたの?緊張してる?誰も反対なんかしないから、むしろお付き合いの挨拶なんていい人じゃない」
朱夏は何も言わずコクンと頭を下げた。
その姿を見てから玄関のドアを開けると、そこに立っていた男を見て息が止まりそうになった。
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