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手紙は継がれる
これが波瑠音伯母さんから、過去に何度も聞かされた恋文にまつわる話だ。もちろん実話である。そしてこの手紙をきっかけに繋がりを深めたふたりは、やがて私の伯父と伯母となる。だけど伯母さんは、自分事としては語らず、いつも〈物語〉のようにして、私にこの話をする。しゃべりたいけど、自分の想い出として話すのは恥ずかしいのだ、きっと。
私ははじめて聞いた時から、ふたりの、この若き日の逸話が大好きだ。
恋心を告げる〈彼女〉に、
「いちゅか、しょちゅぎょうしたら」
と〈彼〉は返事で言葉を噛んでしまう。この〈物語〉はいつもそこで終わる。
『奈津に、いつか好きなひとができたらね』
伯母さんは、そう言った。できたよ。好きなひと。だけど、こんなにも怖いんだね。誰かのために自分の想いを綴るの、って……。
『手書きで綴った文字は必ず相手に届く、なんて、そんなことまで言う気はないけど、でも、たとえ結果がどうあれ、その時の感情がどういうものであれ、お互いにとって特別になるはずよ』
この言葉は伯母のものであり、そして伯父の言葉でもある。
私はまた目の前の便箋と向かい合う。
好きです、
と書いた文字は、また震えている。指先が震えているのだから、こうなるのは当然だ。
『好きなひと、っていたりする?』
と私が聞いた時、彼は首を傾げていた。そう言えば、彼も伯父さんに負けないくらい鈍感だ。
『んっ? あぁ好きなひとか……一応いるかな。たぶん片想いなんだけど』
すこし照れたような顔を思い出して、胸がちくりと痛む。過程が大事なのはもちろん言葉の上では分かっている。だけど振られてもいい、なんて気持ちにはなれない。ただこのまま波風を立てないまま時間を過ごし、気付けば彼が別の誰かと付き合っていたら、と思うと、それはもっと嫌だ。でも……。
書き進めていく。そんな感情の染み込んだ文字には、迷いが見える。また捨てよう、と思った。何度も書き直して、結局、私は完成させずに諦めるかもしれない、という予感さえ頭に浮かんだ。
インターフォンの鳴る音が聞こえた。
一階から母の話し声に混じって、聞き馴染みのある声が届いた。耳をそばだてていると、やがて二階の、私の部屋へと向かって、足音が近付いてくる。母のものではない。だけどいままでに何度も聞いてきたその音の主の正体に、私はもう気付いている。
「やっほー」
気軽な口調で、私の部屋へと入ってきたのは、波瑠音伯母さん、だった。
「どうしたの?」
「うん、ちょっと近くまで寄ったから。それより、奈津こそ、どうしたの?」
「どうしたの、って?」
「だって私の顔を見て、すごく安心した顔してたから。……あっ、もしかして勉強中だった?」
「違うよ。て、手紙、書いてたの……」
私の言葉で手紙の内容を察したのか、伯母さんがにやにやとした笑みを浮かべている。
「そっか、奈津にもついにそんなひとが」
「や、やめてよ。それに、書くのやめようかな、って思ってて……」
「どうして?」
「だって、伯母さんみたいにうまくいくか分かんないし。やっぱり怖い……」
好きなひとができた時、ラブレターを書いたらいい、とかつて薦めてくれたのは伯母さんだ。こんなことを言えば、嫌な気持ちになってしまうかもしれない。だけど私はいまの気持ちを素直に伝えることにした。
「そっか……別に奈津の好きにしたら良いと思うよ。あっ、これはもちろん投げやりに言っているわけじゃなくてね。本当にそう思うんだ。私と彼は、確かに手紙がきっかけで繋がった。私が過去の自分の生き方から照らし合わせて、ただそれを伝えただけ。これが正しい方法なんて思わないよ」にこり、と伯母さんが心を落ち着かせてくれるようなほほ笑みを浮かべる。「手紙でもいいし、言葉でもいい。電話でも、直接会っても。相手に想いを伝えてもいいし、伝えなくてもいい。大事なのは、あなたがあなた自身で決めることだ、とまぁ奈津の三倍近く生きている私は思うわけですよ」
「そう、だね。ねぇ伯母さん、手伝って欲しいんだ」
伯母さんの顔を見てから、指先の震えは止まっている。
「それは駄目だよ。だって私の時と違って、今回の私は本当に部外者だから、ね」
「ううん。書くのは大丈夫。私が自分で決めて、自分で書くから。ただ……書き終わるまで、近くにいて欲しい……あっ、時間、大丈夫?」
「奈津とのいまより、大した用事はひとつもないよ」
伯母さんが見守る中で、
私は新たに便箋を一枚、机の上に置く。
ペンを握る手は、うん、大丈夫そうだ。
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