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その日より彼氏は家にいる間は猫になりきっていた。猫をやめるのは食事と着替えと風呂トイレと外出の時ぐらいだ。あたし達は家で一緒に遊ぶ時はTVゲームばっかりだったのだが、今では猫じゃらしをチラつかせたり、毛糸玉を投げたりと、猫がする遊びに変わっている。
正直なところ、膝に乗るのだけは勘弁して欲しい…… あたしみたいなか弱い女子の膝に成人男性が丸まって乗ってくる絵面は見苦しいにも程があるし、何より膝が痛い。
あたしもよくこのノリに合わせているものである。
ある日のこと…… 彼氏は四つん這いのままリビングへと向かい、テーブルの下に潜り込んで床の上で横になった。この「ねこごっこ」であるが日数が経過するごとに彼氏の猫ムーブが段々本格的になってきている。あたしが仕事に出ている時には柱を爪で引っ掻いて遊んでいるのか、柱は傷だらけで見る影もない。今では一日中猫でいることも珍しくない。
「ほんと本格的ね。でも、床の埃つくからご遠慮願いたいかな?」
彼氏はあたしの言葉を無視して床の上で丸まってしまった。あたしはその本格的さに呆れながら朝食を作ることにした。
朝食の準備が終わった。メニューは鮭の切り身に味噌汁に納豆と標準的なものである。
「出来たよー」
あたしはテーブルの下で丸まる彼氏を呼んだ。しかし、そこに彼氏はいなかった。彼氏がいたのは椅子の上、それも椅子の上に蛙のように座っているのである。確かに猫であれば椅子の上にこのように座るだろう。しかし、ここまではやりすぎだ。
「ちょっと、ふざけるのも大概に……」
彼氏は「にゃあ にゃあ」と鳴きながら右手を猫パンチのように伸ばしていた。右手の先にあるのは鮭の切り身である。
「何やってんのよ」
彼氏の右手が鮭の切り身に引っ掛かった。同時にそれを乗せていた皿にも引っ掛かり、テーブルの上から落ちてしまう。鮭の切り身は床に落ち、皿は四散してしまった。
「ああ! 何してんのよ!」
彼氏は椅子の上からヒョイと降り、床に落ちた鮭の切り身を口に挟んでしまった。それから四つん這いのままスススっと隣の部屋に駆け抜けていく。いくら役作りと言ってもこれはやりすぎだ。あたしは堪忍袋の緒が切れた。
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