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お土産とビーフシチュー
「ただいま、彼方、あなた」
玄関を開けた時の少しの違和感。彼方の靴がないからだと気付いたけれど、それ以上は気に留めることなく廊下を進む。
「あなた、いるの?」
ほんのり薄暗いリビングの扉を開けると、ソファに座る夫の背中が見えた。声をかけるとゆっくりと振り向き、おかえりと言う。
「彼方は出かけてるの? お土産、たくさんあるのよ。温泉もすっごく気持ち良かったし、贅沢させてもらったわ。彼方にお礼言わなきゃね。ビーフシチュー作るけど、遅くならないうちに帰ってくるかしら」
話したいことがたくさんあってつい早口になってしまう。だけど夫は何も答えない。ただじっとわたしを見ている。その目が何だかとても険しいものに見えて、わたしは何かあったのだろうかと不安になり、夫の正面に回った。
「どうかしたの? 彼方に何かあった?」
事故や事件、病気、起こり得るあらゆる悪い事から彼方を守ることに全力を尽くしてきた。だからこそ、目の届くところにいないと不安になる。今も悪い事が起こっているのではないかと想像し、思わずそんなことを口走っていた。
「いいや、彼方は大丈夫だよ。……文恵、話がある。座ってくれないか」
固い表情で言う夫に、大丈夫と言われても不安は広がる。それでも真剣な様子の彼に何も言える雰囲気ではなく、わたしは素直にソファに腰を下ろした。
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