夜の杜と賢者の筆

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 ゆらゆらと落ちていく、夜の(もり)へ。  光は消え、視界には冷たい岩肌が流れていくだけ。  ただ自分のこぼした涙が水玉のように連なり、落ちゆく私の軌跡をなぞる。  ザバァという音とともに水の中に沈み、無気力な私の体を波が飲み込んでいく。  虚無の闇に包まれ、安らぎに似た感傷が心を覆い尽くしていく。  このまま思考を停止してしまおうという誘惑に駆られる。  ――いけない、やらなきゃならないことがある。  私は徐々に体を動かし、水面に這い上がろうと藻掻(もが)足掻(あが)いた。水から頭を出して辺りを見回すと、ほのかな(とも)りが見えた。  灯りに向かって腕をばたつかせながら泳いでいくと、ぬるっとした水底(みなそこ)に足がつくのを感じた。  池のほとりからゆっくりと立ち上がり、水が(したた)る髪をかき上げると、その灯りの元へと足を進めた。  石畳(いしだたみ)の橋を渡ると、(つる)に覆われた洞穴(ほらあな)が見えてきた。灯りはその洞穴からこぼれ出していた。  中を覗きこむと、地下へと潜る階段があったので、一段一段足を降ろしていった。  アルコールランプの光が揺れる中、一人の老人が机に向かって羽根ペンを揺らしている後ろ姿が見えた。老人は私の気配に気づき、こちらを振り向いた。  口を開けて呆然と私を見つめていたが、やがてニヤリと笑みを浮かべ、テーブルの横にあった椅子を指差し、座るよう促した。
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