捜査、そして終幕

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捜査、そして終幕

 学習室に行ってみよう、と言い出したのは霜月の方だった。  生徒会長として居残ることは多く、もはや警備員とは顔見知りとなっていたので、すれ違っても軽く会釈する程度で呼び止められなかった。  学習室へ向かう途中、霜月は辞書を読んでいた。  彼の片手には栞代わりにしているのか、古びた十円玉が握られている。 「いつも辞書読んでるの?」 「いつも?」 「いつも」 「いつもじゃない。たまに」 「ああ、そうなんだ」  そこでしばらく気まずい沈黙が訪れ、その間に出雲は自分が置かれているこの状況を俯瞰してみた。  二人きりで学校の中を歩いている。しかも、その相手は自信がライバル視するべき存在だ。  おそらく出雲は霜月の眼中にはないのだろう。    たとえ一位と二位でも、その差は月と鼈だ。 「‥‥‥」 「霜月くんは、どうやって勉強してる?」 「え?」 「だって、いつもテストの成績が学年で一位でしょ?」 「ああ、そうだったね」  その他人事のような態度が、少し鼻についた。 「それで、どうやって勉強してるのかなって」 「勉強‥‥‥イヅモは?」 「私? 私は‥‥‥テスト前はだいたい六時間くらい勉強してる」 「へえ‥‥‥」  黙って彼の答えも待っていたのだが、霜月は何も続けずに、目の前に現れた教室の手前で足を止めた。  さきほど取りに行った鍵で、学習室のドアを解錠し、教室に入った。  ドアを開けた途端、霜月が教室の中に足を踏み入れた。本格的に捜査をするつもりだろうか。 「何をする気?」  出雲が問うと、霜月はすっとこちらを振り返り、すぐに向き直った。  彼の行く先には、すでにはさみで穴をあけられた募金箱が二つ並んでいた。 「他に募金箱は?」 「あ、ええと」出雲は教室の奥にある棚から、未使用の募金箱を取り出した。「これが明日使うやつ、だけど」  すると、霜月はこちらに手を差し出してきた。出雲は少し困惑したのち、その手に、募金箱を乗せる。  何をする気だろう、と見守っていると、彼はリュックから筆箱を取り出した。  さらに、机の上に乱雑に転がっていた一円玉を一枚だけ取り上げ、その一円玉を未使用の募金箱の中へ落とした。  「な、何やってるの?」 「さっきイヅモは、『箱から簡単にお金を取り出せない』と言った。けど、簡単に取り出せる方法がある」  そう言うと、筆箱から定規を取り出した。  それを募金箱の投入口に差し込むと、募金箱の口が下になるように傾ける。  するとどうだろう、先程入れた一円玉が、定規の上を滑りながら外に飛び出してきたのだ。 「本当だ!」  出雲は驚いて声を上げた。 「こうすると、定規が滑り台の役目を果たして、中のお金が滑って落ちてくる。だから、募金箱に入れたお金を取り出すのは簡単」 「でも、犯人がこの方法を思いついたなんて、考えにくいんじゃない?」 「この間、テレビでやっていたから、それを見ていた人ならすぐに思い至ると思う」 「あ、そうなんだ」  普段から、あまりテレビは観ない方である。  今どきはそんな馬鹿らしいことがテレビで放映されているのか、と少し呆れた。 「とにかく、学習室の鍵さえ手に入れば、簡単にお金を盗み出すことができる」 「問題は、学習室に侵入できた人物‥‥‥」  そこで、成田が頭に浮かぶ。あの貪欲の塊なら、募金箱からお金を盗み出そうと企てる可能性がある。 「成田学は犯人じゃないよ」 「え? なんで分かっ——」ああ、そうだ。自分って単純な人間なのか。「それで、どうしてそう言い切れるわけ?」 「犯行時間は今朝から放課後までの間。しかし、成田は生徒会の会計として募金額を集計するよう頼まれていたのだから、わざわざ学習室に忍び込んでお金を盗むはずがない。彼ならほかにいくらでも盗むチャンスがある」 「確かに‥‥‥」 「それに、額の問題もある。学校で募金される額なんて、せいぜい千円ほどなのに、わざわざ危険を冒してまで、そんなのお金を盗むはずがない」 「それもそうだけど」彼の推理力に感嘆するが、しかし出雲は反駁した。「それって、どの人物にでも言えることじゃない? 募金って言ってもかなり少額だろうし、ならそれを盗もうとするなんておかしい気がする」 「もっと、他の理由があるかもね」 「うん‥‥‥」  他の可能性と言ったところで、金銭欲のため以外に何があるというのだろう。  わざわざ少額のお金を、盗む理由?——  そのとき、ガタンっと音が鳴った。振り向くと、ドアが開いており、さらにそこには麻希が荒い息をして立っていた。 「あれ、麻希?」 「え?」麻希は目を見開いた。「な、なんでみのりちゃんが? それと‥‥‥霜月夕?」  出雲も同じように理解が追い付かないでいると、すっと霜月が前へ出て、麻希に左手を差し出した。 「よろしく」 「え、あ、ああ、うん‥‥‥」 「それで、なんで麻希がここに?」 「ええと‥‥‥というか、むしろこっちが訊きたいんだけど!」そう言う麻希の顔には、先程とは打って変わって笑顔が浮かんでいた。「何が起こってるの、これ?」 「事情は、長くなるから——」 「募金箱に入っていたお金が盗まれた」  霜月が早口で言う。 「そ、そういうことで、霜月くんに事件を解決してもらおうと思って」 「みのりちゃんって、結構積極的だねぇ」 麻希はニヤリと笑う。 「そういう事じゃないよ! たまたま居合わせたから」 「ふーん、そうなんだ」  そう言うと麻希は出雲の耳元で、「やっぱりイケメンじゃん」と、呟いた。どう反応すればいいか分からなかったので、とりあえず苦笑でごまかした。 「それで、麻希はなんで戻ってきたの?」 「だって、急に雨が降り出したから驚いちゃって。少し雨宿りしようかなって思ったの」 「でも、麻希の家ってそんなに遠かったっけ?」 「いや、途中でコンビニ寄ったから」 「じゃあコンビニで雨宿りすれば‥‥‥」  そう言うと、ついに麻希は黙りこくってしまった。    それに雨宿りに来たとしても、なぜ学習室に入ってきたのだ、という疑問が残る。  彼女の言動は、明らかにおかしかった。  よくよく考えてみると、夕立に遭ったはずの麻希の髪が全く濡れていないのも不自然だった。  そこで、信じられないような考えが頭の中をよぎる。いや、しかしそんなはずは‥‥‥。 「麻希って、休み時間、何してた?」 「え、なに急に。ワタシはー、たぶん友達と話してたと思う」  麻希とは違うクラスなので、今朝以降、麻希とは一度も会わなかった。 「それって、証明できる?」 「証明‥‥‥え、もしかして、ワタシが募金のお金を盗んだと思ってるの? そ、そんなわけないじゃん。だって、あんな硬貨数枚盗んだところで、何になるのよ」  麻希はそうやって笑い飛ばす。確かに彼女の言うことはごもっともだった。  それに、アリバイの問題だってその麻希の話し相手に訊けば分かることだ。そう、麻希が犯人なはずがない。  そう思い、出雲は安堵した。しかし、彼女が学習室に戻ってきた理由は謎のままである。 「まあ、いいや」出雲はそう言い捨てると、霜月に向き直る。「それで、何か分かった‥‥‥って、え?」  その霜月の様子に、出雲は顔をしかめる。なんと、こんな状況で優雅に辞書を読んでいたのである。  しかも、近くにあった椅子に腰を下ろしながら。 「話し合いは終わった?」 霜月が顔を上げて、訊いてくる。 「ワタシ、この事件興味ある!」 と、麻希。 「そうなんだ」一方霜月は明らかに興味がなさそうな様子で、すっと立ちあがる。「でも、事件は終わったよ」 「は?」 「え?」 二人が同時に声を上げた。  いったい、彼は何を言い出すのだ。  今、まさに推理の真っ最中ではなかったか。  麻希も協力してくれるというのに、無理やり事件を終わらそうという気なのか。 「霜月くん、それ、どういう意味?」 「深い意味はない」  それと同時に、パンと小気味いい音を立てて辞書を閉じる。  しかし、その勢いで辞書の隙間から十円玉が飛び出してきた。彼が栞代わりに使っているものである。  十円玉はちょうど麻希の足元に転がって、止まった。彼女はそれを拾い上げる。 「落ちたよ」 「ん」霜月は麻希に目もくれずに、口を開く。「いらない」 「え、いらないの?」 「あげるよ、それ」 「はあ‥‥‥」  麻希も彼の言動に戸惑い始めた様子で、不思議そうに十円玉を眺めた。  しかしそこで、彼女の様子が明らかに変わった。十円玉に顔をぐっと近づけたかと思うと、驚いた顔をしたまま涙を流し始めたのである。 「ま、麻希、どうしたの?」  出雲が訊くが、麻希は勢いよく鼻をすすると、そのまま教室を走って出て行ってしまった。 「‥‥‥」  そんな光景を無表情で見つめる霜月に、出雲は問いかける。 「どういうことなの⁉︎」 「俺の読みが当たっていたってこと」  霜月はそれだけ言い残すと、まるで理解が追い付かないでいる出雲を残して、さっさといなくなってしまった。  ふと窓を見ると、先程の荒天が嘘のように、空は晴れ渡っていた。
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