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種明かし
翌日、昨日のことを先生に報告するよりも先に出雲は霜月に会いに行こうとした。
教室で準備をしてから廊下に出ると、案の定彼は何か考え事をしながら廊下を徘徊していた。
「今日は何考えていたの?」
出雲が話しかけると、今まで気づかなかったのか驚いた様子でこちらを見た。
「なんで『募金する』と『献金する』の意味が混同してしまったのか、考えていた。『募金箱』という字面を見て献金する人が『我々は募金する側だ」と勘違いしてしまった、という考えだけど、しかしそう考えると『課金』と『納金』の意味が混同してしまったことの説明がつかなくなる。さあ、どうだろう——というところでイヅモに話しかけられた」
まるで邪魔がられているようだ。しかし、実際そうかもしれない。
「そう。それで、訊きたいんだけど、昨日、麻希に何をしたの? 何をしたら麻希は泣き出したの?」
「何って‥‥‥栞代わりの十円玉をあげた」
「なんであげたの?」
「‥‥‥」
「やっぱり、お金を盗んだのは麻希だったんでしょ?」
「‥‥‥」
問い詰めようとする出雲を、なぜか彼は不思議そうに眺めていた。
「‥‥‥どうなの?」
「今から、学習室って行ける?」
学習室は、昨日とまったく同じ様子だった。しかし、今日の当番が使っているため、未使用で保管されていた募金箱はなくなっている。
「それで、何をする気?」
「イヅモが、誰にも言わないことを約束してくれたら、種明かしをする」
「‥‥‥分かった。誰にも言わない」
そう答えると、彼の表情が微かに歪んだ。
もしかして、今笑った?
霜月は、こちらに背中を向けた状態で机にかがみこむと何やら作業をし始める。
「今から、ある有名なマジックを見せる。知ってたらごめん」
「あ、うん」
マジック? こんなときに? 次々と疑問が浮かんでくるが、しかし特に何も言わずに、彼のマジックショーを見物することにした。
彼は机の奥に回った。かなり本格的なマジックショーをやるつもりらしい。
ふと見ると、机の上には円筒状の入れ物が三つ並べてあった。
いずれも蓋がしてあり、中身は見えない。
霜月はまず、こちらから見て左端の入れ物を右手でつかみ、縦に振った。
中は空っぽなのか、無音だった。
そして次は真ん中の入れ物を右手でつかみ、縦に振った。やはり無音だ。
最後に、彼は右端の入れ物を左手でつかんで揺さぶった。すると、カシャカシャと中で何かがぶつかり合う音がした。しかも、その音は聞き覚えがある。
「今見た通り、右端にある入れ物にだけお金が入っている。今からこれをイヅモの前で並び替えるから、どれがお金が入っている入れ物か、当ててみて」
「うん」
やる気は入っていた。見逃さぬようにじっと右端の入れ物を見る。
そこで、彼が並び替え始めた。しかし、彼のシャッフルは想像以上にゆっくりで、気を抜いてもどこにあの入れ物があるか、簡単に分かってしまう。
彼のシャッフルが止まった。答えは簡単。入れ物は今、真ん中にある。
「どこにあると思う?」
「真ん中!」
霜月は無言で、真ん中の入れ物を右手でつかむと、縦に振った。無音だった。
「え」
出雲が呆然としていると、霜月はポーカーフェイスでこちらを見る。
「じゃ、じゃあどこにあるの⁉︎」
「ここ」
彼はまたしても右端の入れ物を左手で手に取ると、上下に揺らした。カシャカシャ、と音が鳴る。
「嘘‥‥‥」
そんなはずない。食い入るようにして霜月のシャッフルを見ていたが、間違いなくあの入れ物は真ん中に回ったはずだ。まさか、中身が瞬間移動した?
「どう、このマジック、知ってた?」
「何が起こってるの?」
「マジックはその場で種は明かさない」霜月は続けた。「だから、当ててみて」
「はぁ?」
正直、このマジックの種が気になってたまらなかった。なのに、それを自分に当ててみろ、というのか。しかし、この種を当てなければ気が済まない。
出雲は霜月のどこかにヒントがないか、じっと観察した。
艶のある黒髪に、鼻筋の通った端正な顔。そして、長袖のYシャツ‥‥‥。ん?
出雲は明らかな不自然さに気づき、机に身を乗り出すと、彼の袖をめくった。そこで、思わず口角が上がる。
彼の左手首に、円筒状の入れ物が紐で巻き付けてあったのである。
霜月は左手首を露わにしたまま、左腕を振ってみせた。シャカシャカ、という小気味のいい音が鳴る。
「夏なのに長袖を着てるのはおかしい。それに、霜月くんはお金の入った入れ物を振る時だけ左手で持ってた!」
つまり、彼の左手首に巻きつけられた入れ物にしか、お金が入っていなかったのだ。
そして、特定の入れ物を持つときだけ左手を使い、振ることによって左手首に巻きつけられた入れ物の音が鳴る。
それによって、まるで今手に持っている入れ物の中にお金が入っているように騙すことができる。当然、目の前に並べられた三つの入れ物には何も入っていないのだろう。
「これが、真実だよ」
「どういうこと?」
「つまり」霜月は、何も入っていない入れ物を右手でつかみ取る。「永井麻希の持っていた募金箱には、最初から何も入っていなかった」
「最初から? それどういう意味?」
意味が分からなかった。そもそも、麻希の募金箱に次々と人がお金を入れていったのを、出雲はこの目で見ている。
「『最初から』と言えば語弊がある。訂正する。あの募金箱は、学習室に保管した時点で何も入っていなかった」
「え‥‥‥そんなはずは」
そのとき、出雲の中では募金箱の中にどれだけお金が入っているのか、麻希と競い合った記憶が蘇っていた。
もしあのとき麻希の募金箱から聞こえてきたと思われる『シャカシャカ』という音が、実は募金箱の中から鳴ったものではない、としたら‥‥‥?
もしそれが事実だとしたら、あんな猛暑日に彼女が長袖をまとっていたことも腑に落ちる。袖に先ほど霜月が見せたような仕掛けが施されていたとすれば。
「永井麻希がイヅモと競い合いをしたのも、計画のうち。募金箱にまだお金が入っていると見せかけるために、永井麻希は俺と同じように左手に音の鳴る入れ物を巻き付けていた」
「でも、募金箱にはお金を‥‥‥」
「すり替えたんだよ。永井麻希は学習室に募金箱を持っていく前に、日焼け止めを塗るということを口実にイヅモに先に行かせている。あのときに、こっそり別の募金箱とすり替えていた。募金箱自体は簡素なものだから、いくらでも手作りができる」
「証拠は?」
「普通日焼け止めは学校に行く前に塗るはず。校舎内にいるのにわざわざ日焼け止めを塗るのはおかしい」
「それは‥‥‥確かに」
それを、普段日焼け止めを使わないであろう霜月に指摘されるのは、どこか悔しかった。
「でも、今霜月くんがやったことを、そのまま麻希がやったというわけ?」
「うん」
「証拠は?」
「アンフェアになるけど、昨日俺が永井麻希と握手をしたとき、永井麻希の左手首に輪ゴムで強く締め付けたような痕が残っていた。ヘアゴムの可能性も考えられるけれど、永井麻希はショートカットだからヘアゴムは使わないだろうと判断した。それが証拠」
「へえ‥‥‥」
彼の鋭すぎる洞察力に、もはやどう反応していいか分からない。
彼の言う通りだとすると、つまり霜月は麻希と握手した時点でほとんど真相に気づいていたということだ。でなければ、利き手がわからぬ相手に握手を求める際、最初から左手を差し出すはずがない。霜月は、きっともし何かを手首に巻きつけるのならばそれは利き手ではない方だろうと踏んで左手を差し出したのだろう。
いくら学年一位の頭脳でも、そんなことがありうるのだろうか。いや、ありうるのだろう。
「また、あの時点ですでに募金箱の中は空っぽだったから、永井麻希にアリバイはない。これが、真実」
「‥‥‥いや、肝心の動機がまだなはず」
それに、なぜあのとき麻希が泣き出したかの説明もまだのはずだ。
「あ、忘れてた」
そう言う頃には、彼はすでに学習室のドアに手をかけていた。ゆっくりと、先程の立ち位置へ戻る。
「なんで麻希には、わざわざあの数枚の硬貨を盗む必要があったわけ?」
「お金自体には価値はない」彼はそう言いながら、手近な椅子に座り込む。「ただ、ある特定のお金には価値があった」
「ん?」
説明が抽象的過ぎて、なんのことやらわからない。
「簡単なこと。世の中のお金は、そのお金が持っている価値自体は同じでも、個々のお金によって価値が異なる場合があるんだ。いわゆる、希少価値。
たとえ同じ額のお金でも、発行数の少なかった年のお金にはそれ以上の価値が生まれる。同じお金でも発行年が違えば、とんでもない取引価格が付くことがごくたまにあるわけ。そして、永井麻希はそれを狙っていた」
「それってつまり、集まったお金の中に希少価値のあるものがないか、探していたってこと?」
「そう。しかし、永井麻希はこっそり盗んだお金の中に、希少価値のあるものは見つけられなかった。だから、誰もいなくなったところで学校に忍び込んで学習室に盗んだお金を戻そうとした。しかし、偶然いた俺たちと居合わせてしまった」
「ああ! だからあのとき、あんなに戸惑ってたのか」
あの時の彼女の戸惑いようは、今でも鮮明に覚えている。
「そう。だから、十円玉を上げた」
「なんで?」
「あれ、昭和六十一年後期に発行されたものだから。この時期に発行された十円玉には、通常の何倍もの価値がある」
そして、偶然それを栞代わりに使っていたから、それを麻希に渡した、ということか。となると、麻希は霜月があげた十円玉で、泣いたということになる。その涙は、果たして希少価値のある十円玉をもらったことによるものなのか、はたまた霜月自体の優しさに感動したのだろうか。
とりあえず、不可解な疑問は見事に氷解した。彼の、推理によって。
「いや、でもなんで麻希はそんなことを?」
「それは、本人に訊けばいい」
「まあ、それはそうか」
いくら霜月でも、さすがにそこまでは分からないだろう。
「というわけで——」
「ああ、ちょっと」去ろうとする霜月を、出雲が引き留める。「忘れてた。麻希が、『ありがとう』だってさ」
「‥‥‥へえ」
彼はいつものポーカーフェイスでそう呟いたが、去り際の彼の耳元が微かに赤みがかっているのを、出雲は見逃さなかった。
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