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真っ白なリネン、隣には温かな体温、軽い頭痛――金丸匡史の朝は最近この三つで始まることが多かった。
ベッドサイドに置きっぱなしにしていた腕時計を掴み取り、時間を確認する。午前七時を指す針に、匡史はだるそうに起き上がった。隣の女が身じろぎをして、反射的にその顔を見下ろす。
「……この人でもなかったな」
ぽつりと呟いて匡史はビジネスホテルの名前の入ったバスローブを羽織り、朝の支度を始めた。
出会いを求めるための合コンは日常だった。周りが羨むような美人、自分よりも稼いでるようなキャリアウーマン――いつだって彼女たちの視線を独り占めして、向こうからベッドに誘わせる。昨夜もそうして国際線のCAだという彼女とこのホテルに入ったが、朝になると酔いと共に気持ちまで醒めてしまう。残るのは飲みすぎによる頭痛だけだった。匡史は支度を終えると、まだ眠っている彼女の傍に『またいつか呑みましょう』というメモとホテル代だけを残して部屋を出た。
確かに遊びは嫌いじゃない。たくさんの女の子に注目され、憧れられるのは気持ちいいし、嬉しい。けれど、匡史がこうして出会いばかりを求め、モテていたいと思うのには理由があった。――たった一人に、出会いたい。それだけだった。どこに隠れているかわからない、『運命の番』をいつも匡史は探していた。
満員の地下鉄に揺られ着いた社屋には、大森建材株式会社と大きく書かれている。一応世間では一流企業で通っており、ここ札幌支社といえどその認知は変わらない。その社屋ビルの五階に、匡史が在籍する営業部特販課のオフィスはあった。
「おはよ、優子ちゃん。今日の髪型可愛いね」
匡史はオフィスに入ると、事務の女の子にいつものように声を掛けた。
「金丸くん、おはよう。あー、また昨日とおんなじネクタイ」
どこで遊んできたの? と恨めしそうに言う彼女に匡史は笑顔で、終電逃して朝までファミレスだよ、と返す。
「連絡くれれば迎えに行ってあげたのに」
「送ってもらうだけじゃ済まなくなっちゃうからそれは出来ないよ」
笑いながら匡史は彼女の元を離れ、自分のデスクへと向かう。
「おはよう、安藤。置きネクタイ貸して」
隣の席に座る同僚に声を掛けながら匡史は自分のPCを立ち上げる。安藤は眉根を寄せながらデスクの引き出しを開け、ネクタイを取り出した。
「お前も置いとけば? ただでさえ目立つアルファ様なんだから」
「アルファ様ねえ……ただの性別なんだけどな」
今までしていたネクタイを引き抜き、借りたそれを締めながら匡史は答えた。
「で、どうだったの? あの子」
若干声を落とした安藤がこっそりと匡史に聞く。昨日の合コンはこの同僚が主催したものだった。匡史が呼ばれる合コンは大抵このパターンなのだ。
「あー……置いてきた」
「どこに?」
「ホテルに」
「うわ、ひっでー」
「なんだよ。ちゃんとホテル代置いてきたよ」
匡史は目の前のキーボードをカタカタと操作しながら答えた。
「番号は?」
「向こうのは押し付けられたけど、こっちのは無理。教えられない」
「もう会わないってこと?」
「飲み友達としてはよかったんだけどね。気が利くし、素直だしキレイだし。でも、オメガって嘘だったし」
求めてる人とは違ったから、と匡史が言うと、安藤は大きなため息をついた。
「あのねー、理想を追い求めるのは自由だけど、現実を見るのも大事よ、金丸クン。そもそもオメガがどれだけ少ないと思ってるんだ? オメガじゃなくても好きになるかもしれないだろ」
「けど、運命の番はオメガだから。多分、好きになれないよ。いつまでも好きになれないってわかってて付き合うなんて出来ないし」
匡史が答えると背後から、金丸くん、と呼ばれた。ふり返ると、ふわりと香水の香りが漂う。
「コーヒー。今日は濃い目に淹れておいたから――二日酔い、顔に出てるわよ」
特販きっての美人の藤木がにっこりと微笑んで匡史にカップを渡した。
「うわー、すみません、藤木さん。あ、今日のリップの色いつもと違うんですね」
似合いますよ、と笑うと、藤木は一瞬驚いてそれから、ありがとう、と嬉しそうに笑った。彼女が立ち去り、何気なく安藤を向くと、その口が開いたままになっていた。怪訝な顔で匡史は、大丈夫か、と安藤のあごを持ち上げる。
「お前のそれは天性のものか? それともアルファの血がそうさせるのか?」
「見たままを言っただけ。向こうも喜んでるみたいだし、いいだろ」
「さすが。抱かれたい男社内アンケート一位に君臨するだけあるよ」
安藤は頷きながら、俺もコーヒー淹れてこよう、と席を立った。それを見送りメールのチェックをしていると、おはよう、と太く大きな声がオフィスに響いた。匡史もその声に顔を上げる。オフィスの入り口近くに営業部長が立っていた。
「ちょっと作業止めてくれ。先週異動した竹中くんの後任の紹介をするから」
部長はそう言いながら大股でオフィスを突っ切り、先週半ばから空になっていた課長のデスク前まで一人の男性を連れて歩いてきた。
「本社から異動してきた池上くんだ。まだ土地にも慣れていないから、みんなでサポートしてやってほしい」
「池上です。よろしくお願いします」
野太い部長の声の後に聞いたせいか、池上のその声は、清流を吹く風のように透き通って聞こえた。訳もなく惹き付けられ顔を上げると、今度はトクン、と心臓が波打つように高く鳴りその仕事を少しだけ早めた。
きちんと整えられた髪に、優しげな顔立ち、三つ揃えのダークスーツが包むバランスのいい体は少し低いが充分にいい男だ。自分よりも少し年上だろうが、若々しく見える。そして役職は課長。女の子が描く理想の旦那様、そのものが目の前に居る。その感覚は、匡史だけのものではなかったようで、女子社員の「カッコよくない?」というヒソヒソ声が聞こえてきた。匡史は、その評価に共感するものの、同時に不安も覚えていた。人気が池上へと流れるのは怖かった。もし、運命の番が池上へと傾いたらどうしようという、漠然としていて途方もない不安だが、その一人を探して生きている匡史にとっては大問題だ。
「ライバルしゅつげーん、って感じ?」
コーヒーカップ片手に戻ってきた安藤が匡史の耳元にぼそりと呟いた。
「……まさか。俺の方が若い分、分があるね」
「その自信、どっからくるんだか」
少し分けて欲しいよ、と安藤は呟いてデスクへと着いた。匡史も部長と話し始めた池上から目を逸らし、目の前の作業に戻る。けれど、胸の奥に巣食う焦燥感と、妙な鼓動の速度は忘れることはなかった。
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