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糸を手繰り終えると、ふいに靴音が転がってくる。その直後、ガチャリ、と金属が擦れ合うような音がした。
助けが来たのか、と一瞬希望を抱くが、戸を閉めた途端、鍵を施錠する音が耳に届き、部屋に入ってきた者の正体を嫌でも察する。
「ふふ、お待たせしました」
凛とした、それでいて興奮をひた隠しにした声がする。視覚を封じられたからか、その声が女性のものだとはっきりわかる。
「さて、そろそろつらいでしょうから、取ってあげますよ」
そう言うと、声の主は俺に被せていた覆いを剥ぐ。光が入ってきて目が眩むと思ったが、辺りは薄暗かった。
見回してみると、窓にはカーテンが掛かり、隙間から微かに射し込む夕陽が今の時間を概ね伝えてくる。
その射し込む茜色が、目の前に立つ人物のシルエットを照らし出す。
「はい。こんにちは、暁月先輩っ」
シャープな顔立ちと、肩まで掛かった絹糸のような黒髪に、天然物の紅玉をはめ込んだような瞳。頭の天辺から爪先まで、どこを見てもきれいに整った、すらりとした体型。
一目見れば簡単には忘れられそうにない、手垢の付いた表現をすれば美少女というカテゴリに入るだろうこの人物が、俺に向かってにこやかに手を振っている。
男子だったら皆ぽっと熱があがって浮き足立つ絵面だろうが、自由を封じられた状況ではとても同じような感情は抱けない。
「…なんのつもりだ、宵待帷」
唯一自由な目に力を込め、彼女の名前を呼ぶ。それを耳にした一瞬、嬉しそうに見えたのはきっと気のせいだと思う。
「卒業生を拉致監禁。次期生徒会長最有力候補とまで噂されるスーパー才女がやることじゃないぞ」
彼女のことはよく知っている。俺の後輩にして、眉目秀麗にして文武両道な、この学校のアイドル的存在。
「なんのつもり、とは?」
「惚けるなよ。人様を後ろから襲って縛り付けるなんて、普通じゃないだろ」
…そして、俺を呼び出し、虜囚のようにした張本人だ。こうして顔を見た今、確信を持って言える。
「あら、どうして私が下手人だと?」
「…下駄箱の手紙、お前が書いただろ。無駄に綺麗で、真似したってできないっての」
そうだ。以前、彼女が書いた習字が壁に張り付けてあるのを見たことがあった。
本当に人間が書いたのかと疑問を抱く程に字体が綺麗に書かれ、一周回って気持ち悪いとさえ思ったのを強く覚えている。
「ふふ、綺麗だなんて。お褒めに預かり光栄です」
と、なぜか一部だけを抜き出して嬉しそうに笑む宵待。皮肉っぽく言ってみるも煙に巻かれまるで通用しない。
「…教えてくれないか? 何でこんなことをする? かわいい後輩に闇討ちを仕掛けられるような恨みを買った覚えはないんだが…」
「あら、かわいいだなんて。御上手ですね」
「さっきから都合のいいトコだけ抜き出すなぁ…」
…ここまで軽く話してみて、なんとなく確信した。率直に言って、今の宵待は異常だ。
なんというか、こうして目の前にいる彼女と、普段の人物像がまるで一致しないのだ。
「…ひょっとして、普段から猫被っておられる?」
「変なことを言いますね。女の子は大なり小なり、色んな隠し事のある生き物ですよ」
にっこり、と宵待は柔和な笑みを浮かべる。…どことなく影が見えるのは、気の所為ではないか。
…いや、そんなことは置いておいて。今はもっと重要なことがある。
「…結局何が目的だ。俺を捕まえてどうしようってんだよ」
「まあ焦らないでください。忙しない人はモテませんよ…まぁ、モテられても困りますが」
…聞こえないよう小さく呟いたつもりなのだろうが、つい先程までとは明らかに異なるドスの効いたトーンの声に、思わず背筋が凍る。
たまに見かけるあの紅く綺麗な瞳が、今日は妖しく光り不気味で仕方ない。
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