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自分を拉致監禁した相手の思惑がわからないまま、困惑と怯懦が内心渦巻くなかで彼女は微笑む。
「それに、何か勘違いしているようなので是正させていただきますけど。私、先輩に恨みなど抱いていませんよ?」
「はぁ? だったら一体何を──」
そう聞き返そうとした、その時。宵待は顔をずいっと近づけてくる。
薄暗い部屋でも顔の輪郭がよくわかり、息遣いが鼻孔をくすぐるほど、近くまで。
「な、近っ…」
思わず息を呑む。もう少し近付けば、唇同士が触れそうな距離。心なしか、頬へ垂れる髪からシャンプーの香りまでしてくるようだ。
「ふふ、かわいい反応です。童貞らしくていいと思います」
「…は、はしたないから。女の子が無闇にそういうこと言うのやめろ」
近づく顔を避けようと精一杯の抵抗をする。けれど、そんなものは無駄の一言だった。
「ふふ、こんな時まで人のことを気にするなんて、先輩は本当に優しいですね」
そう言って宵待は微笑む。いったいどういうつもりなのか、一貫性のない言動に振り回されっぱなしだ。
「おい、からかうつもりなら──」
「…でも、先輩はいけないヒトです」
「──へ?」
柔らかな語りから一変、急に糾弾されて思わず素っ頓狂な声が出る。パチクリさせている自分とは対照的に、宵待の目は真剣味を帯びる。
「先輩が私の気持ちを受け取ってくれないんですから…」
「き、気持ち…?」
軽い咳払いをして、場の空気を変える。それだけで姿勢を正さんと意識し、正面にする紅い瞳に注目してしまう。
「──私、宵待帷は、貴方をお慕いしております」
──空気が固まる。一瞬、何を言われたのか理解できず、思考が遅れてやってくる。
「そ、それって…」
「ええ。勿論、尊敬の念などと濁すつもりはありません。ライクミーではなく、ラヴミーです」
…ダメだ、まだ少し混乱している。というかシチュエーションが滅茶苦茶で、どうリアクションしていいのか迷ってしまう。
「……初めて知った」
「ええ。言葉にするのは初めてですが。これでもずっとアピールしていたんですよ?」
…彼女の言葉に、思わず首を傾げる。アピールしていた? なんのことだ。彼女とはデートはおろか、特定のイベントを過ごした記憶すらない。
「ピンときていない、って顔ですね。知ってます。一度も気付いてくれないんですから」
…どこか、拗ねたような口ぶりで、閉めていたカーテンを少しだけ開く。茜色と黝い色が混ざった空に、ぽっと月が輝いていた。
「…昔の文豪が言いましたよね。日本人はアイラブユーと言わないとか。だから月が綺麗ですねとか婉曲な物言いをするって」
「あー、うん。授業で聞いたことある、よ…?」
「でも、その人は知らなかったんでしょうね。世の中には言わないとわからない、月が綺麗って言ったらそうだね綺麗だねと、あっけらかんに言う超絶鈍感野郎がいるって」
……何故だろうか。語彙にどことなく怒気が滲んでいる。
「例えば…そう、あれは入学式の頃──」
「あ、まさかの回想入るんですか?」
「はい。しばしご静聴お願いします」
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