Marilyn,my Lord

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 私もまだ、そんなに人生というものを長く生きてきたわけではないのですけどね。でも、少しこの辺りで自分の人生を振り返ってみようと思いますの。そうですね、自分が生きてきた道のりを、道のりというほど大袈裟なものではございませんけど、それを振り返るといいますか、どなたかと共有したい気持ちが、ふつふつと沸き起こってきておりまして。  誰にでもそういう瞬間ってね、あると思いますわ。例えば最近、いわゆる団塊の世代と言われる人たちが、定年退職したあとに自分史を書いて、それを自費出版するなんていうことも、聞くところによるとないとかなくもないとか。  別にそれを真似するということではございませんのですけど、もし私と同じような体験を、人生で経験なさった方もいらっしゃるかと思い、また、いえ、私はどなたの人生にだって、こういうことは起こりうることだと思って、そのときにそれが自己否定に繋がらないように、胸を開いて受け入れるべきものだということをお知らせするために。  あら、おかしな文章になりましたわ。私、文章を書くことは慣れていませんことよ。ですから、お見苦しいことがございましても、少々のことは勘弁してくださいね。  要するに、私の人生、まだ20年しか経っておりませんけど、私の人生に起きた素晴らしいことを、皆さまと共有したいのですわ。  いえね、私だってそんなに他人の人生になど興味のある方でもありませんし。それはきっと、他の人でも同じことだと思うのですよ。  例えば、テレビに出てる芸能人とか、プロ野球選手だったら、きっとすごくたくさんの方が、その人の人生に興味をお持ちになるのだと思いますの。  でも、若干ハタチの、まだほとんど人生において何らかの実績も功績もないような、ただの若い女の子の人生なんかに興味を持つ方が、どれほどおいでかしらと。  そういうことは十分承知の上で、それでもそれが、人類を救うあの方についてであれば、いえ、そんなに普遍的でなくても、そうですね、私の個人的な、うら若き乙女のあることについて中心に書かれていれば、少しは興味を持ってくださる方もおられるのではないかしら。特に、世の中の殿方の幾人かは。  そういう、期待にも似たタクラミのようなところもありまして筆を取るのですわ。  ですので一応予めお断りしておきますと、この手記には人類を救う救世主さまのことも書いてありますけど、私の人生を語るのにどうしても外せない方ですので、でも主には私のことが書いてありまして、特に私の今までの人生の中心テーマでありました、裸のことについて書いてありますの。  ですから、それはそれで申し訳ないのですけれど、私の裸にご興味のない方は、あるいは破廉恥でけしからんとお思いの方は、今すぐここでこの手記を閉じていただくことをおすすめいたしますわ。  ですけど、私の裸は、この私が20年間、いちばん気にかけて大事にしてきたものでありまして、いちおうは商売道具として手塩にかけて育ててきたものであります。  言ってみれば、私の中でこの世でいちばん自信のあるもので、それを食い入るように見つめる人たちも、いないこともないのですよ。ええ、この世の中には、それがどんなに少数だとしても、ちゃんといらっしゃるのです。  ですから、あなたがそれをどう思われるかはわからないのですけれど、どうか最後まで読み通してもらいたいと、切に願うわけなのですわ。  それでは前置きはこのくらいにして、そろそろ始めるといたしましょうか。私が裸に興味を持つようになったのは、それはもう自然ななりゆきでしたの。でも、自分ではすごく自然だと思っているのですけれど、昔、仲のいいお友達にそのことを話したら、変な顔をされたことがありまして。ですので、本当は自然なことではないのかもしれません。  ここで誤解のないようにしておくと、裸、裸と申し上げておりますのは、女性の裸でございます。  私は殿方の裸になんて、あんなものになど興味を持ったことはございませんわ。ダビデ像なんて見ても、何がそんなに人気があるのかさっぱりわからないのですことよ。  同じ芸術作品でも、あんなものを見るくらいでしたら、ミロのヴィーナスやルノワールの作品を見ていたほうが、よっぽど有意義に時間を過ごせると思いますわ。ウフフ、女性の視点からの意見でございます。  要するに私が興味があるのは、女の人の裸だけですの。それも週刊誌のグラビアを飾るような、出るところがしっかり出て、出ないところがしっかり出ていないっていう裸が好きですの。いかにも大人の女性という裸ですわ。  一部のゲテモノ好きの殿方のように、ロリータ愛好と言いますの?そのう、つるっとしてぺたっとした少女の裸になど、それのどこがそんなに魅力的なのか、まったくもって理解不能なのですわ。  あら、私ったらまた前置きを。そろそろ肝心なところに入りましょうね、ウフフ。まずは私が女の人の裸に興味を持つようになったいきさつが必要なのですわ。  人によっては、それを性の目覚めと呼ばれる方もいらっしゃるのかもしれませんわね。でも、私はフロイトのおじいさんみたいに、なんでもかんでも性のせいにする、ダジャレではありませんことよ、そういうのは好きではありませんの。  おそらくそれは私の人生において決定的な瞬間であったはずなわけでして。それを砂漠でキリストさまの幻影を見たときのパウロさんと一緒にすることは、あまりにもレベルが違いすぎるということは重々承知しておりますわ。  ですけど、それは私の人生の中では、回心といっていい出来事だったと思います。  私のキリストさまと出会ってしまった瞬間ですの。ああ、あのときのことを思うと、今でも興奮してきますわ。  あれは、親類の家に遊びに行ったときでしたの。その方は、私から見て年の離れたお兄さんといった方で。私はまだ、小学校の低学年ぐらいでしょうか。ある程度の字は、もう読める年頃だったと思います。  いえいえ、そんなんじゃありません。まさかその方に幼い恋心を抱いていたとかいう想像をしてらっしゃるのではありませんね。いくら幼き少女だからといって、誰があんな人に魅力など感じるものですか。ウププ、その人の顔を思い出しただけでも、吹き出してしまいますわ。  そうではなくて、その人は今で言うところの、サブカルチャーなんぞに詳しい方でしたの。見た目はだらしなくて、無精髭を生やして、なんかワッペンのいっぱい付いた飛行機乗りのジャンパーを着て。あのジーパン、きっとあの人の元に渡ってから、一度も洗濯機に入ったことはありませんわ。その前はきっと、アメリカの田舎の誰かの太い足をつっこまれていたのでしょうけど。  部屋も人と同じくらいに汚くて。古いレコードとか写真集なんかが、山積みになってホコリを被っていたのを思い出します。  いえ、無頓着な人ではありましたけど、ちゃんと、人に内緒にしておかなくてはいけないものは、ちゃんとどこかにしまってあったと思いますわ。  まだほんの少女であった親戚の娘が、見たら卒倒してしまうような、そんなものが私の目に止まったことは、一度もございませんでしたの。  ああ、どうしましょう。体が震えてきましたわ。人生に強烈な光が射したあの瞬間の輝きは、いつまでも色褪せることはございません。  それは何の雑誌だったかわかりません。ファッション雑誌だったか、音楽雑誌だったか、きっと大人の男の人が好きそうな、女の子はあまり興味のなさそうな、そんなものを紹介するものだったのではないかしら?  居間では、大人同士の会話が続いていましたので、面白くなくなった私は、ふとその人の部屋に入っていきましたの。  別に、幼い女の子が好きそうなものは一つもなかったですけれど、なぜか、床に落ちている派手な色の雑誌が目に入ったのですわ。  今にして思えば、それは呼ばれたのだと思います。耳では感じていなかったのですけど、きっと私の魂は、神の子が呼ぶ声をしっかりキャッチしていたのだと思います。そうとしか思えませんわ。  何気なくしゃがみ込んで、その雑誌のページを開いた私の目に飛び込んできたのは、一枚の写真でありましたの。  それは巻頭カラーとかではなく、中の方の白黒のページでした。おそらく昔のアメリカのカルチャーについて書いてあったのだと思います。  ぎっしり詰まった文字組みの中に、小さな四角い写真が載っていたのです。それは、外国の女の人が、一糸も纏わぬ姿で胸を開くように片手を頭の後ろに回して、扇情的な表情を見せている写真でありました。  大人の女の人のヌード写真など、もちろんそれまで見たことはありませんわ。裸というと、私が知っていたのは、せいぜいお風呂に一緒に入ったときの母親の裸ぐらいです。そんなものを見たって、特別な感慨を催すことなどありませんでしたのよ。  ですが、その小さな四角い窓の向こうで恍惚感に満ちてこちらを見つめる女の人は、何か神々しいものに包まれているかのようで、圧倒的な存在感をもって私に語りかけてきたのです。  これは特別なものである。幼き私にも瞬時にそのことがわかりましたの。同時に、いつまでもこれをずっと見ていてはいけないという畏れが湧き上がってきました。  そこで、私はそのページに書いてある字を読めるだけ読んで、急いで雑誌を閉じたんですの。なんとかその女の人がマリリン・モンローであることと、一時期世界中で最も愛された、最も男性を虜にしたらしいことがわかりました。  最後にもう一度同じページを開いて、小さな写真を目に焼き付けました。そうして何食わぬ顔で大人たちのいる居間まで戻っていきましたの。でも、小さな頭の中は、あの神々しい裸でいっぱいになっていたのです。  それが、私と主との出会いでした。その日から、マリリンが私の魂の奥深くに入り込み、私と共に生きるようになったのです。  だからといって、急に私の胸やお尻が大きくなったりはしません。ですが、私の精神は、完全に我が主マリリンによって変えられてしまったのですわ。ウフフ。  それからというもの、私の幼い心を占めていたのは、なんとかあのマリリンと同じポーズをとりたい、ということでしたの。  おかしいでしょうか?いいえ、子どもが憧れているものの真似をしたがるのは、当然のことだと思います。  大人たちが部屋にいないときを見計らって、マリリンと同じようにします。テレビでも見てるようなフリをしながら、服を着たままでしたけど、床に寝っ転がって、足は正座みたいに、左手は下に流して、胸を右に開き、右は脇の下を見せて、肘を曲げて手は後頭部に隠します。  この脇の下を見せるとき、そんなところを人に見せるなんていうことはありませんでしたから、自分が裸であったらと思うと、胸がドキッとしましたの。今、大勢の男の人の視線が、私の胸やお尻に注がれているのだ、と想像すると、なんだかもう、胸の中がおかしくなってしまうようでしたわ。  ですが、実際にはちゃんと服を着ていましたし、髪も豊かなブロンドではなく、私の指先には短く切り揃えられたおかっぱの毛先が触れているのです。それは残念なことでした。  といっても、今すぐマリリンのような髪になることは無理でしたし、体も少女のままです。ただ、なんとか服を脱いでみたい、マリリンと同じように一糸纏わぬ姿になってみたい。そんな渇望が湧き上がってきましたわ。  試しにちょっとだけ、ほんのちょっとだけですわ。上に着ている服の裾をめくってみましたの。  台所では母親が夕飯の支度をしていましたし、もし私が裸になっているところを目撃されたら、大変なことになるだろうということはわかっておりましたので、本当に、ほんの一瞬だけでしたのよ。  マリリンのポーズで天井を見上げたまま、チラッと、小さな乳首の上まで、服をめくってみました。  すぐに服を下ろして、いつ母親が入ってきてもいいように座り直して、ずっとテレビを見ていたようなふうを繕ったのですけど。  それは私の想像通りであり、また、想像以上でもありました。  私の目は天井に向けています。そこには、見えない男の人がたくさんいて、私を見つめているのです。その人たちの視線が、一斉に私の露出した胸に注がれた瞬間のことと言ったら!  まるで稲妻に打たれたようでしたわ。頭のてっぺんから足の先まで、快感が全身を貫きましたの。  それはすぐに終わったのですけど。マリリンが見ていた景色を垣間見たような気になったのですわ。  これは、楽しい。  そう思いましたわ。  人前で裸になるっていうのは、きっととてつもなく楽しいことに違いない。そう確信にも近いものを感じてしまったのでございますよ。  じゃあ、その次に私がどうしたいと思ったか、もちろんおわかりですよね?そうです、今着ているものを、全部脱いでしまいたいと、そういう衝動が湧き上がってきて、たまらなくなってしまったのですわ。  しかし、それは家に人がいるときにはできないことでした。もしそんなところを家族に見られでもしたら、どうなるかは容易に想像つきます。  私はまだ昂っている胸を無理矢理抑え込んで、テレビの画面を凝視していましたの。でも、テレビの内容なんか、ちっとも頭に入ってくるものですか。  私は時を待つことにしました。そのうち一人になる時間が訪れるはずだ。母が何かお使いにでもいって、家を空けるときがあるはずだ。  意外にも、その瞬間は早く訪れたのですよ。何か足らないものが見つかったのでしょう。母は近所のスーパーまで用足しに行ってくると言ったのです。  普段なら、私も連れていくところなのですが、一心不乱にテレビを見ている様子の私に、少し躊躇ったのかもしれません。ちょっとだからということで、私に一人で留守番できるかと聞いてきたのです。  それはもう、一にも二もなくOKでした。あたかもテレビに夢中になっているフリをしながら。  母が玄関から出て、そろそろ十分に家を離れたというころ、私は湧き上がる欲求を行動に移しました。  上に着ているものを脱ぎ、スカートを下ろし、そして下着を、これも上から順番に脱ぎ去ったのです。  ああ、そのときの感動といったら!今思い出しても、どうにかなってしまいそう。どうしましょう、手が震えています。この手記を最後まで書き通せるでしょうか?  読者の方の中には、破廉恥だとお思いの方もいらっしゃることでしょう。けしからんとお思いの方もいらっしゃることでしょう。もしかして、既に本を閉じてしまわれた方もおいでかもしれません。  ですが、断っておきます。これは一人の少女の性の目覚めではないのです。これは私にとっての、信仰告白なのです。我が主マリリンを受け入れることによって新たな人生を生きることになった私の、純真たる信仰告白なのです。私はマリリンに対するパウロであり、アウグスティヌスなのです。  ああ、当時のことに戻りましょう。一枚一枚、着ているものを取り去っていくたび、神の喜びは増していきました。下着姿になったときの感動。それは世俗の世界を抜け出し、神がおわす教会の扉を開いたかのようでした。  そしてすべてを脱ぎ去り、生まれたままの姿になった瞬間、私は神を見たのです。大袈裟ではありません。我が主マリリンが、恍惚的な微笑みを持って私を迎え入れたのを、はっきりと感じたのです。  私は主の前に跪き、体を床に横たえました。そしてゆっくりと肘を上げ、胸を右に開きました。つまり、写真の中のマリリンと同じポーズを取ったのです。  ああ、そのときの感動を、いったいどう表したらよいのでしょう。たとえホメロスと言えど、筆舌に尽くすことはできないことでしょう。  私は恍惚の渦に巻かれて、幸せの絶頂へと辿り着きました。まるでキラキラとした光が天上から降り注いでいるようでした。背中に羽の生えた天使たちが舞い、妙なる音楽が聞こえてきました。  主が私を祝福し、私をその豊満な胸に迎え入れてくれたのです。  それが私の信仰が確固たるものになった瞬間です。私はマリリンと一体化しました。それ以降、マリリンはいつも私の中にいて、私を導いていったのです。  でも、それはほんの一瞬だったのですよ。ぐずぐずしていると、母親が帰ってきてしまいますものね。  ですから、私は芽生えたばかりの信仰心を、そっと心の小箱にしまって蓋を閉じたのです。  それからというもの、私は人がいない隙を見計らっては、幾度となく信仰告白をしてきましたの。内緒ですわよ。そんなことをほんの少女がしているだなんてことが世間に知れたら、ね?地獄の悪魔も真っ青になるような、恐ろしい怒りに取り憑かれてしまう方もいらっしゃいますもの。  信仰は、まだまだ世の中には十分広まっていないものですの。でも、でもね、これは本当に、心からの敬愛を主に捧げる行為でございましてよ。  ウフフ、ですから、世間一般の方がこんな淫らだとお思いになられるような礼拝は、人知れず地下で行われたのですわ。  ええ、わかっております。これは淫らなことですのよ。だって、女の人のヌードを芸術だなんて、物分かりの悪いことをおっしゃる方もいらっしゃいますけど、ねえ?ああいうのはエセインテリだと思いますのよ。だって、あのマリリンが世界中の殿方に与えた影響がどんなものであったか、おわかりでしょう?  親戚のお兄さんの部屋に落ちていたあの雑誌は、もう二度と目にすることはございませんでしたわ。でも、私だってずっと無知な少女のままでいるのではありません。成長するにつれて、マリリンに対する知識は当然のように増えていきましたの。  そうしてマリリンがどんな存在であったか、あの豊満な胸とお尻で、どのように世界を支配したのか、スポンジが水を吸収するように理解を深めていきましたのですよ。  そのうち私も小学校の高学年になりました。その頃になると、男の子も女の子も、あの子が好きだとかどうだとか、誰々ちゃんが好きとか誰々くんが好きとか言うようになりましたわ。同時に保健体育の授業なんかもあって、だんだんと男の子がエッチなものだということも理解してまいりました。  当然クラスの中で、顔のきれいな子とか、かわいい子とかが人気があって、ああ、この男子たちは、ああいう子たちの裸を想像したり見たがったりするのかなあ、なんて。そんなことをぼんやりと考えておりましたけど。  でも、私はね、恋とか愛とか、誰かが好きっていうような気持ちはよくわからなくて。だって私の心は、いつのときも、この世の誰よりも美しく誰よりも神々しい、我が主マリリンで満たされていたのですから。  そんなこんなで時は流れて中学生になりますと、男子はますます馬鹿になって。うう、おぞましい。あのくらいの体臭にまみれた思春期男子って、おぞましさを感じますわ。あの子たちの考えることといったら、いつもセックスのことばかり。  きっと想像の中で女の子が裸にされたりキスされたり、あれを入れられたりされてるのが、私ではとても恥ずかしくて言葉に表せないことなんかをしているのでしょうけど。  でもね、これだけは言えるんです。彼らの想像の中で裸にされてるのは、いつもわたしではなくて、かわいくて人気のある女の子ばかりで、私のセーラー服を脱がして中の裸を想像してる子は、一人もいなかったのですわ。  ちょっとここで、この辺で私の容姿についても書いておく必要がございますわね。  私の容姿は、当然両親から受け継いだものでありまして。父親はというと、見事に頭がM字型に禿げ上がって、太めの体型で、空いているか空いていないかわからないような細い目に細い眼鏡をかけておりますの。  母親はと言いますと、パーマのかかった長いモジャモジャの髪に、これまた太めの体型で、細い目に眼鏡をかけておりますわ。  この父と母が出会って恋に落ちて、一粒種である私が誕生して。どうなるかおわかりでしょう?  ええ、私は両親の特徴を見事に受け継いで、笑福亭鶴瓶そっくりの顔をしております。いかがでしょう、ちょっと興奮が収まりましたか?ウフフ、皆さまのご想像の中で、今まで私はどんな姿をしていたのでしょうね。もしかして紺屋高尾のようないい女を想像されていましたでしょうか、ウフフ。  ですからこそ、私にマリリンが降臨した奇跡が、いかほどのものであったかおわかりでしょう。そのままでいたら笑福亭鶴瓶に弟子入りするしかなかった女の人生を変えて、主と共に生きる生き方へと導いてくださったのですから。  ちなみに、あの私とマリリンとを出会わせてくれた親戚のお兄さんも、笑福亭鶴瓶そっくりでございますのよ。恋心なんか抱くはずございませんでしょう?  ですので、同級生の汗臭い男子なんかには、むしろ容姿をからかわれたり、馬鹿にされたりすることも多かったのです。彼らは馬鹿な想像をして、誰々という女優が好きだとか、アイドルの誰々と結婚するのだとか、愚かなことばかり口走っております。その中の誰も、理想のタイプは笑福亭鶴瓶だというものはいないのです。  でも、そんな彼らを遠くから眺めながら、私は密かな優越感を感じておりました。  彼らの誰も、あのマリリンが備えていたような、世界を支配するおっぱいもお尻も持っていないのです。でも、私にはそれがあるのです!  それにしても、マリリンへの愛は日に日に募るばかりでした。憧憬があまりにも激しすぎて、今すぐこの場でセーラー服を脱ぎ去ってしまいたい、そんな欲求に駆られることもしばしばでしたわ。  その頃になると、恋愛への興味の他にも、少年少女たちの心を占めてくる関心があります。  ええ、それは将来のこと。将来自分がどんな職業に就き、どんな仕事をするかということ。これについては、私の心は早くから決まっておりました。私の人生はとっくに神のものなのです。主と共に歩み、主と共に生きる人生なのです。主と同じ道に進むことは、自明の真理として、揺るぎない決意を抱いておりました。  といっても、映画スターではありませんことよ。芸能関係ではありません。だって、私の関心は、笑福亭鶴瓶と一緒にお笑いをやることではなく、あのマリリンの神々しい裸一点に注がれていましたから。  私は裸を商売にできる仕事を探しました。今書きましたように、芸能関係はとてもとても私に入り込む余地はありませんでしょうから、もっと別の方面で探しました。  そこで白羽の矢を立てたのは、ヌードモデルでした。これなら人前で裸になれますし、マリリンが辿った道を追いかけることができます。  ただ、私にできそうなのは、マリリンのようにカメラの前で裸になるモデルではなくて、絵のモデルの方でした。これなら顔が笑福亭鶴瓶でも、体が美しければ勝負できるのではないか、そう思ったんでございますの。  ですから、体だけは美しく育てようと、そう決心して青春時代を過ごしてまいりました。そのために私は中学高校と、部活は卓球部を選びましたの。ほら、卓球の選手って、色白だし、胸が大きな方が多いでしょう?きっとラケットを振る動作が、胸の発育にいいんだと思って。  本当は美術部に入って、今すぐにでもヌードモデルをやりたかったのですけれど。そんなこと学生にはさせてもらえないということはわかっておりましたし、それよりも夢に向かって計画的に遠回りすることを選んだのですわ。  卓球をやるという点からすれば、動機は不純かもしれませんけど、必死で練習しましたわ。早く胸が大きくなるように一生懸命ラケットを素振りして、左右の胸が均等に発育するように、左手でも右手と同じ回数だけラケットを振って。  笑福亭鶴瓶になるのは嫌だから、毎日汗だくになるまで体育館の中を何周も走って。  筋力トレーニングも研究しました。お尻をプリッと引き締めるための動作をして。でもある程度のふくよかさも欲しいから、ご飯もしっかり食べて、背が伸びるように牛乳を飲んで。  私の理想の体型は、ファッション雑誌の表紙を飾るようなすらっとした細長い手足ではありませんの。あの、脳裏に焼き付いて離れない、ああ、今でも隅々まで思い出せますわ。あの、美しい、豊満で悩殺的な、マリリンの肉体なのです。  野菜もたくさん食べ、夜は早めに就寝して朝早く起きるような健康的な生活を心がけました。家族からは、それまでスポーツなんかやったことのなかった娘が急にスポーツに夢中になったように見えましたし、友達からもスポーツ好きな少女のイメージで通っていましたけど、それがヌードモデルのためだという本当の理由は、笑福亭鶴瓶の仮面の下に隠して微塵も見せなかったのです。  週に一度、市民プールに行き、均整のとれた身体になるために泳ぎました。でも、私がプールで一番好きだったのは、更衣室で服を脱いで水着に着替えるまでのほんの一瞬なのです。または濡れた水着を脱いで下着を付けるまでの短い間ですわ。ああ、この時間が永遠に続けばいい、もっと長い時間裸でいられたらと、渇望が膨らんでいきましたの。  いっそのこと裸でプールの中を泳ぎたいと、そんな欲求に駆られたこともあります。でも、いっときの欲望に負けてしまったら、将来ヌードモデルになる夢も潰えてしまうと思って、必死に自重いたしましたわ。  そんな努力の甲斐あって、高校を卒業する頃には自分で言うのもおこがましいですけど、なかなかウットリするような身体に仕上がって、胸のカップもFまで上がったのですよ。  晴れて高校を卒業した私は、実家を出て予定通りにヌードモデルになりましたの。今は主に街の中心部にあるカルチャーセンターで、世の男たちを虜にしていますわ、と言いたいところですけど。ここに来るのは、仕事を定年退職したご年配の方がほとんどで。男の人も女の人も結構なお歳を召された方が多いですわ。  それでも中には若い殿方もおられます。デッサンをしながらスケッチブック越しに鋭い視線を投げかけてきてはくれるのですけど、どうしてかしら、その目には真理を追求する光は宿していても、扇情的なものはこれっぽっちも見られないのですね。絵を志している男の方って、そういう植物っぽい方が多いですわ。  でもご年配の方の中には、ウフフ、この方きっと絵を描くことよりも、女の人の裸を見るために教室に通ってらっしゃるのだろうなという方も、ウフフ、私が観察したところ、そういう方の方が多いかしら?  ええ、いいわよ。とくとごらんになってちょうだい。自惚れではありませんけど、これだけの豊満な体をお目にかける機会など、この方の人生にはなかったのではないかしら?ウフフ。  さて、今日のポーズは座りポーズですか。私のお得意の。横を向いて正座をしたら、そこからお尻を奥に落として爪先を絡めて。左手で支えながら、右手の肘を上に。脇を見せて胸を開いて。ウフフ、後頭部だって、もう切り揃えられたおかっぱではありませんことよ。マリリンのようなウェーブのかかった、豊かな、本当はブロンドにするといいのですけど、そうするとデッサンに支障がありますので。一番黒いところがあった方が、明暗を表しやすいそうなんですの。  でも、若い頃の笑福亭鶴瓶なんかじゃありませんわ。私はマリリン。マリリン・モンローですのよ。  ああ、我が主マリリンよ、あなたは幼き日の私の中に入って、私を変えてくださいました。  笑福亭鶴瓶になるしかなかった私を救ってくださり、私に新しい命をくださいました。  ああ、マリリン、マリリン。我が主よ、愛しています。とこしえに主の名が褒め称えられんことを。ハレルヤ、ハレルヤ。
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