第一話 三途の川の小さな食堂

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第一話 三途の川の小さな食堂

「今日も清々しー!」  柔らかな青い空の下、店の暖簾を掛けて伸びをすると気持ちがいい。爽やかな初夏の風が私のポニーテールと白いエプロンを揺らしていく。  あの世とこの世の境目に流れる三途の川は、近代化と観光地化が進んでいる。この世側には小さな街が出来ていて、宿屋や土産物屋等々の観光業で賑わう。  死者の魂と見学に招かれた生者の魂は、電車やバス、船といった交通手段でこの街にやってくる。しばらく滞在して観光を楽しんだ後、死者は船か橋を使ってあの世へと渡り、生者はこの世へ帰っていく。  一番の人気スポットである展望台では死者と生者が混じり合って、整備された美しい運河と白い橋を眺めるのが日常。  私の店は展望台から少し離れた場所にぽつんと建つ小さな食堂。土産物屋が立ち並ぶ大通りからは遠くて、観光客は訪れない。その替わりに観光業で働く方々がやってくる。 「今日もありがとうございました!」  閉店時間は午後八時。最後のお客を見送って、暖簾を片付け店内を掃除する。  古民家風の外観に、店内はカウンター席が八席。私一人で切り盛りする店は、昼と夜合わせて三十名前後を受け入れるのがやっと。水道やガス、電気が通っているのに光熱費が一切掛からないのと、私の前に食堂を営んでいた人が残したお金が残っているので材料の仕入れや経営は心配ない。 「今日の売り上げは……二百八十六文かー。最高記録かも!」  売り上げは全部一文銭。穴の開いた銅貨は、現在の価値なら一文で十二から三十円前後という話だけれど、三途の川のスーパーでは一文で卵が十二個買えるので実際の価値はよくわからない。料理の値段は元々あったメニュー表を参考にして、三から十二文に設定している。  厨房の奥に置かれた大きな壺に一文銭をそっと入れる。暖簾や新しい食器、私の服等々を揃える初期費用で借りた分はすでに超えた。贅沢をするつもりもないし、次の人の為に多少なりとも残せればいいと思う。  ガラス引き戸の外に、人影が写り込んだ。 『……今日もいいか?』  恐る恐るという感じで店の扉を開いたのは、黒いフード付きマントを着込んだ男性。目深にかぶったフードから見える口元は、二十代半ばから後半に見える。 『もちろん! いらっしゃいませ』  彼は私を三途の川まで連れてきた死神。船に乗る直前、私が生きているうちにやりたかった夢を語ったら、空き家になっていたこの食堂を紹介してくれた。  期限は一年。それが過ぎると、私は三途の川を渡る約束になっている。 『……悪いな。今日も金は無いんだ』 「いいですよ。私と一緒でいいですか?」  冷蔵庫を開いて、中途半端に残った食材を探す。昨日は重めの肉料理だったから、今日は胃に優しい味付けがいいかもしれない。  野菜を切る私の手を、カウンター席に座る死神が見ているのを感じる。フードで隠れているから、私の方からは目元が見えない。 『……料理、慣れているんだな』 「はい。修行していましたから。ちゃんと免許も持ってますよ」  学校を卒業してから、ずっと食堂で修行していた。各種免許も取得し、店を借りる為の目標金額を超えた矢先に倒れた。運ばれた先の病院で不治の病と診断され、そのまま入院。精密検査が行われている最中に死神が迎えに来た。  焼き魚と余り物で作ったおかず二品。きのこたっぷりのお味噌汁と温かいご飯を並べ、死神の隣に座る。 「お待たせしました。熱いうちにどうぞ」 『……いただきます』 「いただきます」  テレビもなくラジオもない。微かに流れるBGMは、展望台から風に乗って聞こえる人々の賑やかな声。  無言で食べる気まずさも、あっという間に慣れた。一人でなく、二人で食べると何となくほっとする。  食後の緑茶を飲むと、死神は椅子から立ち上がった。 『金の替わりに、これを』  骨ばった大きな手から、赤くて綺麗な欠片が一つ渡された。宝石でもなくガラスでもなく飴でもない、三ミリくらいの破片。これが一体何なのかはわからなくても、とても綺麗な光を放っている。毎晩もらうこの欠片は一緒に置いておくと朝には溶け合って一つになる。今は五ミリくらいの赤い玉になった。 「ありがとうございます。また明日、お待ちしています」  明日も来て欲しい。そんな気持ちを込めて、私は死神に微笑んだ。
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