結局は自分の為

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結局は自分の為

 人それぞれ論というのは考えるのを放棄した人間の考え方で、社会経験に乏しい人間がこれになりやすい。その考えの違いに“立場”の考え方の違いがあると私は言ったが、この言い方は結論“立場”が分かる人間にしか分からない。だから今回は逆に立場が分からない人間には“受け入れられない”話をしたい。  まず何故高らかに人それぞれと語るか。それは人それぞれという考えを前面に出せばどんな意見も否定出来るからだ。  そう、まずここに矛盾が生じる。本人らは誰も否定しないつもりでこれを提唱するのだろうが、これを否定に持ち出すのだ。まずこの矛盾を本人達は受け入れる事が出来ず、だからこそ、この考え方をする人間は誰よりも人の話を聞かなくなる。何故なら人それぞれという考え方が何より正しいからだ。  そしてこの考え方から分かる通り、この手の人間は一律して皆主観的な意見を嫌う。当然だ、人それぞれという考え方自体客観論なのだから、主観論を唱える人間は間違った事をしている事になる。  なら何故そんな思考に至ってしまうのか。ここから憶測なのだが、恐らくリアルよりもネットに居る割合の方が長いからだ。  私が以前何処かで述べたように、ネットに真実など存在しない。だからそんなネットに、社会経験の乏しい人間が何か真実味を帯びた言葉を述べようとするには説得力が必要になる。その間借りした説得力を得る為に、誰にも否定されない人それぞれ論に辿り着くのではと私は考えている。  だがこれは間借りしたもので、実際の所通用しない。客観で主張など出来ないのだから当然だ。そう、人それぞれ論には決定的にこれが足りていない。そしてさも客観こそが一番正しいかのような言い方で自分の目的を隠すのだから始末に終えない。こういう人間との口論は、最終的に「お前が悪い」「俺は正しい」の一点張りしかしなくなり、自分の意思すら本人は分からなくなってしまうのだからどうしようもない。  そんな人間の見分け方なのだが、これは割りと簡単に見つかる。あらゆる事に対して否定しかせず自分で解決案を出せない者だ。いや、仮に出せたとしてもそれがとんでもなく稚拙なものでお話にならない。だからこういった者は自らの正しさを証明出来なくなった途端、周りと同調する事で自分の考えが正しい事を示そうとしてくるが、所詮それは本人の発言ではないことを忘れてはならない。  つまり自分で考える事が出来ないのだ。主観論に対して客観論でさも正しい事を言っているように見せてその実発言に何一つ中身が無い。そして質の悪い事にこの人それぞれ論が分からない人間はその客観論に騙されやすい。そしてその客観論に付き合えば、結局答えなど出せずに終わってしまうのだ。詰まる話、ただのネガティブキャンペーンである。建設的な意見が言いたいならまず主観で物を言えるようになって欲しい。
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