7、捨てられた思い

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紗英は路地を走っていた。徐々に息が苦しくなり、足が悲鳴を上げ始めていたが、それは紗英の脳には届いていない。それを遮断するほど紗英は焦り、憤りを感じていた。 あのあとうなだれる悠人を階段室においたまま、教室に戻り自分のバックを手に取って学校を出た。途中、担任の教員にそれを制止させられたが、ほとんど耳には入っていない。 悠人は莉子の死に打ちのめされていた。 打ちのめされ、自分の生きている意味がない、自分はなにも守れないと酷く憔悴していた。 あの様子では再び立ち上がるのは容易なことではないだろう。最悪の場合、莉子と同じ道をたどることだってありうる。 そして何より危惧すべきことは、このタイミングで悠人の前に宏輝が現れることだ。生きる意味をなくしたと言っていた悠人の前に宏輝が現れれば、今の悠人なら命を差し出す可能性が大いにありうる。 莉子が自殺したのが、宏輝と梨乃が計ったことによる結果なのだとしたら、宏輝はおそらく今夜、行動を起こすだろう。 それを阻止しなければならない。 宏輝を説得することはできなくとも、せめて時間は稼げるはずだ。 路地の角を曲がり、廃ビルの一角が見え始める。今日は晴天で、雲一つない青い空が広がっていたが、荒廃したくすんだ色の外壁が見えるその廃ビルだけはそこだけ切り取って張り付けたように異質に見える。 紗英は昨日の梨乃の言葉を思い出す。 ――梨乃、これがあなたのやりたかったことなの? 同時に決意を固めたような黒い瞳を思い出す。 莉子を精神的に追い詰め、自殺に追い込むことが、梨乃の『やりたいこと』だったのだろうか。 何かを捨てなくちゃいけない、と梨乃は言っていた。 梨乃はあの時の紗英と同じように自分の心を捨てたのだろうか。 それに紗英に託した「莉子をお願い」という言葉の意味は何だったのだろうか。莉子が自殺してしまった今、その言葉は意味を成さない。 それを考えようとして紗英はハッとする。 梨乃の思いが分からない。 それは今に始まったことではない。 出会った時からずっとそうだ。捨て子だったときは梨乃といつも行動を共にしていたが、梨乃が何を願い、なぜ捨てられたかすらわかっていない。 梨乃は自分のことを何一つ話さなかった。 何度かそういう質問をしたことがあったが、梨乃は漠然としたことしか答えず、そのあとに決まって、深い闇を見るような遠い目をする。 紗英は梨乃のことを何一つわかっていなかった。 それなのに、彼女のことを知った風にお金を渡し、その体調を心配していた。紗英に、梨乃を心配する権利はなかったのだ。 梨乃の生活を心配する以前に、彼女のことをもっと知るべきだったのだ。 もしもっと梨乃のことを知ろうとしていれば、こんな結果にならなかったのかもしれない。そうすれば、昨日ファミレスで梨乃を止められたかもしれないのだ。 紗英は掌を強く握りしめる。 だが、今は後悔している余裕はない。 同じ後悔をしないために今できることをやるしかない。 紗英は廃ビルの前にたどり着き、そびえたつ荒廃した外壁を見上げる。 ――今度は私が、悠人を救う…! 紗英は動かなくなった自動扉に手をかけ、扉をこじ開けると、廃ビルに一歩踏み込んだ。
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