エベレストにて

4/8
前へ
/468ページ
次へ
「ごめんなさい。私医者じゃないからこんな事くらいしか出来ませんが」  痛がる男性の膝にポケットに入っていたハンカチを巻いた。こんなんで痛みが治まるとは思えないが。 「ありがとよ。あと一歩で頂上って所で落っちまったんだ。足さえ何でもなかったら登るんだけどな」  男性は頂上に到達出来なかった事が無念で成仏できないらしい。 「何で落っこちちゃったんですか?」 「それがな、エベレストって物凄く渋滞するんだよ」 「え?」 「頂上なんてほんの狭い場所なんだ。続く道も両側断崖絶壁の細道でな。そこをたくさんの登山者が押し合いへし合い歩いている。頂上着いたらさっさと下りればいいものを、みんな記念写真を撮りたがるんだ。早く登頂しなきゃいつ天気が変わるか分からない。夜になったら下りるに下りられなくなる」 「じゃあその渋滞に巻き込まれて落っこちちゃったんですか?」 「ああ。あと一歩だったのになあ」  悔しそうに男性は頂上を見上げた。 「今なら夜中で誰もいませんよ。今なら行けます!」 「でも足が動かないんだよ」 「大丈夫です。もう治ってますよ」  私の言葉に男性は恐る恐る足を地面についた。そして立った。 「本当だ! 全然痛くない!」  男性は力強く地面を踏みしめ歩き始めた。
/468ページ

最初のコメントを投稿しよう!

218人が本棚に入れています
本棚に追加