2.バレンタインの悲劇

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それは、遠い昔。 記憶の中には前後は抜けていて、断片的な場面しか思い出せない……3歳か4歳だったろうか。 走るどころか歩くのも精一杯だった頃。 私はよく転んでは泣いていた。 内股で歩く癖が身に付いていたこともあり、自分の足につまづく事が多かった。 そんな私に、アイツは 「大丈夫?」 といつも手を差し伸べて助けてくれた。 今よりずっと高くて、今の私よりもずっと可愛らしい声で、私の名前を呼んでいた。 そんなビジョンが一瞬浮かんだが、すぐに消えた。 「何?ナオ。どうしたの?」 アイツの背後から、また別の知っている声が聞こえたから。 こんな場所で、聞きたくなかった声。 この声を聞くだけで、忘れてしまいたい過去があっという間に蘇ってしまう。 「あんたなんか、ナオ君のお荷物なんだから、とっとと消えろよ、このどブス死ね!」 「ねー知ってる?ナオ君がさ、あんたのこと、ピーチクパーチク煩いって、私に愚痴ってきたんだよ?あんた相当嫌われてるじゃん」 「あんたなんかが中学に入ってきたから、ナオがいなくなったのよ!どう責任取ってくれるのよ!!」 小学校の時だけじゃない。 中学校にいる時も、隙があれば私に絡んできた先輩。 名前は知らない。 顔も覚えてない。 覚えていたくない。 でも、声だけは残っている。 甲高く、聞くだけで頭痛がするような、剣のような声だと思った。 どうして、その人の声が、ここで聞こえるの? 「ああ、実は……」 やめて、何も言わないで。 知り合いだと、言わないで。 佐川琴莉だと、言わないで……! もう、あんな思いをしたくない。 「すみませんでした」 私は、早口で謝りながら、アイツからCDを奪い取ってそのまま立ち上がった。 それから、決して顔を見られないように、下を向いたまま、軽く会釈をもう1度してから、私は走った。 アイツが、何か私に言っていたような気がした。 でも、全く聞こえなかった。 「何?あれ、1年生でしょう?どんくさっ」 と、あの人が私に向かって放った鋭い言葉の方が、ずっと響いてしまったから。
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