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12 早計
「なら,利用ついでに教えてくれませんか。僕の描いた絵を知ってたのは何故?」
動揺の色が感じとれた。
「僕は画面に署名しない。なのに筆致だけでマドカの絵だと指摘しましたね。マドカなんて画家は日本人でも普通は知らない。それなのに英国の雲の上のお方がマドカを知ってるなんて変です」
「よそよそしい物言いはよして――」
「質問に答えてください」
「――それは……機密事項だから言えないわ」
「あなたは――」腕を振りほどいた。「僕のことを悪く言うけど,よほど自分勝手な人だ。過去を土足で踏みにじり,当て推量で侮辱した相手の質問にはとりあわない。相手の秘密を探ろうとするなら自分の秘密だって曝すべきじゃありませんか」
ジュピタラーの反論が来る前に彼の背後を指した。「身なりを整えたほうがよさそうです」
テーラードカラーに金糸の縁どりのある赤紫のジャケットを着た一団が隊列を組んで伏し目がちに立っている。
ジュピタラーがそそくさと釦をかけ,ネクタイを結びなおし,むきなおった。「親衛隊の諸君,私の居場所がどうして分かった」横柄な口調で肩を怒らせる。
最前列の中央に立つ美青年がウェーブの黒髪を揺らせながら一礼をした。「申し訳ございません。秘密情報部と連絡をとりました」
「内密に出国したつもりが,筒抜けだったか――不自由な境遇だな」
「お邪魔は致しません。ただ陰ながら警護はさせていただきます」
「……待て……待ちたまえ……待ってくれ,君に言っているのだ――結夢」顔だけ後ろへむけて人を呼びとめる。その表情が少し困惑していた。
「あなたから何も聞きだせないと分かりました。御機嫌よう――ラグシャスタートン公爵」
透かさず居丈高な言葉が飛んでくる。
だが立ちどまらない。どうせ彼は世間体に勝てない。従って僕に深いりなどできないというわけだ。
家に帰り,戸棚やクローゼットを隈なく調べた。クッションをどかし,寝具もはぐり,ベッドやチェストの下に腕を這わせた。既に何度か試みた行為だった。
呆然と夕刻の陽を浴びながら玄関に座っていた。引き戸の隙間に太くて短い肢がねじこまれ,戸が横滑りするなり幅広の顔が覗かれるのではないかと思われた――
そのまま夜が来て周囲はどっぷり闇に浸かった。
シャワーを浴びようとしてシャツを脱げば,ひらりと舞いおちるものがある。昼に犬の愛情表現を受けたとき飼い主の貸してくれたハンカチだ。
ハンカチの隅に「1年A組シンユー」と書かれ,携帯電話の番号らしき11桁の数字も併記されてある。
飼い主が学業従事の年齢にあったことを驚いたが,昔の持ち物を大切に使いつづける人だっているとすぐに考えを改める。もしそうならば飼い主にとって思いのこもるハンカチなのかもしれない……
番号を入力し発信ボタンを押せば,すぐに応答する。「ハンカチの方ですか?」
「そうです――犬の飼い主の方ですか?」
「そうです! よかった! 別のハンカチならば,こんなこと言わないけど,それはすごく特別なものなんです。お渡ししたのがそれだと気づいて正直焦りました。申し訳ないですが,お返し願えませんか?」
「勿論です。どちらにお送りしましょう?」
「すぐに必要なんです。お宅までいただきにあがるのは失礼ですよね」
「……洗濯してからお返ししたほうが――」
「すぐに返してください。それがないと困るんです」
「ええ……」
「ドリーマーというスナックを御存じですか」
「ああ,それならうちの近所です」
「じゃあ,お待ちしてますから」電話が切れた。
あそこ,最近閉店したんじゃなかったっけ……考えている暇はない。すぐさま新しいシャツとズボンに着がえて面へ出た。
巨大な影が行く手を遮った。誰かが玄関の前に立っている。点滅を繰りかえす街灯が金髪と青い瞳と長身白皙の裸体を時折浮かびあがらせた――
「ちょっと,円さん!――」群れた近隣女性たちが小声を発する。「また,おかしなアイデアの絵を描いてるの! そんなとこにモデルさん,立たせないでよ!」
「そうなんですよ! 以後気をつけます!」ジュピタラーを家に引きいれた。「何をしてくれてんだ!」
「あたし……来ちゃった……」
「分かってるよ――何で裸なんだ」
「生まれたままの姿で出会ったでしょう。最初から遣りなおしたいと思って……」俯いて頰を染める。
「ずれてるよ――僕はね,人の裸を見るのが嫌いなんだ」
「あら,どうして?」
「どうしてって――生々しいじゃないか」
「それが素敵なのじゃなくって?」
「とにかく――裸論議を展開してる時間はないんだ。服を着て即刻帰ってくれないか」
「服なんてないわよ」
「……その格好で天下の公道を歩いてきたと?」
「まさか――」両手で口をおおう。「親衛隊に送らせたわ。車のなかで脱いだの。そうして彼らも帰国させたわ。新生活の邪魔になるもの――体一つであなたのもとに来たの」
「てかっ……それ,まずくない? 同性好きってことが本国にばれるよ」
「よくってよ。二度とあたしは何も恐れない――」ジュピタラーの脹脛が僕の足首に触れた。全身がふわりと浮いて次の瞬間にはフロアに沈められている。
人の頭を支えたままジュピタラーが顔面を寄せた。睫毛同士が絡んだ。
片手をねじこんで頭を遠ざける――
「絶対に帰らないわよ――ここに住む――」指間から頰の肉や唇がはみでている。「日本国籍を取得するの。婚姻届けも出すの,アメリカならすぐにどうにかなるもの――」
「……ええ?……ああ,計画どおり進むといいね。それで,どいてくれない? 外出しないといけないんだ。話は帰ってから聞くよ」
「……本当?……ここにいて構わない?」
「いいよ。だから――」
ジュピタラーは条件をのんだ。
「クローゼットから適当なものを選んで着ておけよ」
「は~い」正座した裸男に見送られる。
「何時に帰る? 何処に行くの? 誰との待ちあわせ?」
「……すぐに帰るよ。ハンカチを返すだけだから――ほら,今日,犬に飛びつかれたろ。あのとき飼い主さんに借りたハンカチだよ」
「……へえぇ……」遠くを見るような目色をする。「それで?」
「それでって?」
「何処で会うのよ」
「……それはいいじゃん。口うるさい嫁さんみたく色々聞くなよ」
「あら,嫁さんって……あら,うふふふぅ……」頰を押さえて振り子のように揺れうごく。
「なら行くよ」
「ええ,行くの――早く帰ってきてね。遅いと電話しちゃうから」唇を尖らせ,両拳を顎にあてる。「辺りに公衆電話はなかったようね。近くのおうちにお借りしようかしら――ついでに御挨拶なんてしちゃったりしてぇ,うふぅうふふふふぅ」
用事を手早く済ませたほうが賢明らしい。
路地を何度か折れながら北東の方角に奥深く入りこめば,錆に蝕まれた看板が見えた。店内は真っ暗だ。よその店にも照明はなく,シャッターの目だつ通りに立っていた。
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