2 兄を知る男

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2 兄を知る男

 警察は犯人に依然てこずっていた。手錠をはめた後も眼球を刳りぬかれたり耳を潰されたりと複数名の重傷者が出ていた。彼は僕と話がしたいらしい。  だが僕は,病院へ行くことを拒み自ら刀を抜いて黄金の月光に浮かぶ大輪の花と竜と虎の刺青を曝しながら傷口を手下に縫わせるあいつに気をとられ,犯人に配慮を示す余裕などとてもないのだった。 「シャバに戻ったんなら小綺麗にしてくれよ」 「ファッションだよ。人権侵害で訴えられっぞ――」刑事とふざけながら胸までのびる赤褐色の髪をかきあげ,こっちを見ている。 「おじさん,真っ青だよ――」紗架が背中をさすった。 「おまえ,大丈夫か?」間部は僕の不調の理由をのみこんでいる。「帰ったほうがよくない?」  無性に胃がむかむかしていた。間部の言うとおり一刻も早く帰宅するべきだ。事情聴取は明日にしてもらおう。  近くの警官を呼びとめ融通をきかせてもらった。  犯人がパトカーの窓ガラスを砕き,奇声を連発する。「かわいい玩具をあげるからぁ! すぐにあげるからぁ! もう()ねないでぇ! 邪険にしないでぇ! 意地悪やめて早く来てよぉ!」  僕は手配された車の助手席に乗りこんだ。  クソッタレェ!――破損ガラスに顔面をぶつけ血塗れになる。「玩具をあげるって言ってんじゃん! ねえってば,空告(うつつ)!」  車が走りだす―― 「とめてください! とめて!――」  急ブレーキと同時に車から転がりおちた。もたつく足で犯人に近づいていく。刑事たちが後退りしながら道をあけた。 「やめろ――」行く手を塞がれる。  邪魔するな,彼と話さなければいけない――視線をあわさないまま,裸体の戯画を擦りぬけた。  いきなり羽交いじめにされる。「空告はもういねぇ。俺が()ったんだって……」説きふせるみたいに一音一音はっきりと言う。  羅州(らしゅう)施恵慈(せえじ)――おまえを絶対許さない!  憎しみに脳内がぶちりと音を立てるなり腕に電気が走った。  羅州は身じろぎするでもなく横面をむけて人を見おろしていた。仇敵に痛手の一つも与えられないくせして重労働したみたいに肩で息をしている。まるで滑稽だ。拳がひどく痛んだ。指が折れたかもしれない。 「殴ったぁ? 殴ったのぉ!?」甲高い声を発し犯人が歓喜する。  僕が近づけば,警官たちに組みふせられたまま手足をばたつかせ兄の名を呼ぶ。 「空告は何処?――何処にいるの?」両膝をつき問いかけた。その声は懇願するかのようだ。  犯人が頭を擡げて真顔でまじまじと人を見る。「違う? 違う。声が違う――」忙しなく鼻と口とを動かし周囲の空気をとりこもうとする。眦の尖る大きな両眼が右往左往してから突如焦点を曖昧にした。「空告のにおいじゃない――何だあぁ」すっかり大人しくなりパトカーに素直に乗った。  警官に制止されつつもパトカーへ駆けよる。「生きてるよな! 空告は何処なんだ!」リアガラスを叩く。「――兄の居場所を教えてくれよ!」  犯人が振りかえりガラス越しに窄めた指を数回転させた。  白い粉をふいて円が描かれる。窄まった手指が全開して血塗れの掌の手形がつくなり円内のガラスが粉砕して飛びちった――  腕がのびる。頸部に指がくいこむ。激しく噎せかえった―― 「捜してた玩具,見っけぇ――」両眼が異様な色を帯びた。  犯人が僕の首を摑んだままリアガラスに突進した。破片を弾きとばし車外へ脱出する。このまま人質にとって逃走するつもりだ。  抵抗すれば,優しげに耳打ちする――「会いたいよねぇ,空告に」  目端に羅州の拳銃を構える姿が映りこむ――咄嗟に両手を広げた。  羅州は姿勢を崩し片腕を折った。しかしすぐさま体勢を整え,両手を添えて銃口を僕らにむけたのだった――  こめかみ近くを何かが過ぎた。背後で小さな悲鳴を聞く。足もとに犯人が崩れおちる―― 「――おい! しっかりしてくれ!」左肩を撃ちぬかれた犯人に呼びかける。出血がひどく意識もない――  羅州が刑事に拳銃を投げかえし近づいてくる。「何で撃った! 空告のいる場所へ案内させようとしたのに!――」  形も大きさも不揃いな両眼,眉間下で異様に骨の突起して歪んでからのびる反りかえった鼻,縦に裂ける上唇と顎の深い切り傷――こいつ,こんな顔だったっけ。男前ぶっているけど全然違うじゃないか――  救急車が到着する。犯人が運ばれていく。  同乗させてくれと刑事たちに頼みこむが,誰もとりあってくれない。後ろから腕を摑まれる。振りはらうがまた摑む。 「やめろ! こっちは忙しいんだ!――」 「今はじめて俺の顔を見たろ? 25年目にしてやっとまともに俺を見た――」 「――知るかよ!――ああ,行ってしまった!」救急車を見送る――「誰でもいいから病院を教えてくれよ! 何処の病院に運ばれたんだ!」  刑事たちが首を傾げて視線を逸らす。 「警察はいつもこれだ! いつでもまるで役にたたない!」執拗に干渉してくる腕を毟りとれば今度は指間に指を絡める。煩わしさに耐えられず突きとばした。  羅州が胴を丸め,憑かれたみたいに人を見たまま息するような音を漏らした――嘲笑ったのだ。かっとなった―― 「昔もそうだった!――こいつの言いなりになるだけで警察は空告を捜さず見捨てた! おまえらなんか当てにするか!――」胸に(わだかま)る黒い感情がふきだした。「おまえなんか視界から消えてしまえ!――」
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