6 口移しの罠

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6 口移しの罠

 羅州は馬鹿みたいに夢中で口を吸ってきた。すぐさま逆流した血液が流入してくる。その血を吐きすてながら羅州を突きとばす。  ゴボッと大量の血をふきだし,不揃いな目を見ひらく。羅州は自分に振りかかった事態を理解できないようだった。だが喉を両手で摑み,浴室のタイルにのたうちまわるうちに状況を自覚しはじめたらしい。口移しでのみこんだ剃刀の刃が自分の息の根をとめてしまうだろうことを。  喉をぴーぴー鳴らし足もとに絡みつくゴミを盥で叩きつければ把っ手が折れた。  浴室を後にしてキッチンに走りこむ――「ウツツ! 何処!」――どうしていない!「ウツツ,出てきて! 何処にいるの!」  ぎょっとした――這いあがってくる。地獄行きの亡者が道連れを見つけたみたいに両足をぐいぐい引きつつ腰部にまとわりつく――  振りはらおうとするが,一向に離れない。「頼む! 諦めろ!」壁に両手をついて倒されないよう堪えた。「――僕を好きなら,もう諦めてくれよ!」泣きわめいた――  ピョウピョウという喉笛の合間に言葉らしき音が漏れてくる……死ぬまで,一緒に,いてくれよ……せめて,こっち,見てくれよ……  強烈な血のにおいが鼻孔に侵入した。悲鳴をあげて拳を突きおとす。衝撃の伝播と同時に何かが転がった。  逃げた――僕はまた大切な存在を見捨てて逃げてしまった――
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