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8 裸体にエプロン
太陽光線に頰を炙られていた。テントの隙間から強烈な日光が射しこんでいるのだった。
眠っていた。真っ白な羽毛の上かけをかぶり横たわっている。
上半身を起こし何もつけていないことに気づく。一連の出来事を思いだす。何だよ,自分まで全裸かよ……
テントのジッパーをさげると,鍛えあげた白皙の背をむけ,食事の支度をする男が視界に入った。いまだに全裸だ……
「あら――」と立ちあがり,端整な歯を覗かせて,ニカリと笑う。「お目覚めかしら?」
「済みませんが,何か着てもらえませんか」
「構わないじゃなくて――ハニーとあたしだけなのだから」腰部をくねらせる。
視線を逸らす。
「あら……不合格? 自分ではかなり自信があるのに」両手を腰の両脇に添え,身体を傾けてみせる。
「そうじゃなくて――こっちの問題です。目の遣り場に困るからお願いします」
「ウフフゥ,カワユイったらありゃしない――」白面を染めて口をおおう。「オーケー,分かったわ」
「御理解ありがとうございます……因みに僕の服はどうなりました?」
男が指さす。梢で拵えた物干しにシャツがはためいていた。隣には両手でハート形をつくり両頰を赤らめる熊のエプロンが翻っている。
もったいぶった身ぶりでエプロンをつけると,男はしゃなりしゃなりとテントに近づき,ジッパーから頭だけ突きだす僕にシャツを渡した。
「えっと……ほかのは?……」
「ほかの?」
「下着は?」
「あら,ブリーフ? トランクス?」
「後者のほうですけど」
キャッキャッと喜ぶ。「あたしは前者――」
「それで……何処ですか?……」
「盗んでなどいないわよ」胸の前で両手を交差する。
「そんなこたぁ分かってますよ」
「最初から穿いていなかったの」長い睫毛の奥から斜めに流しみる。「ハニーはシャツ一つであたしの上に舞いおりてきたの」いきなりジッパーをおろす。
小さく悲鳴して両膝を抱いた。
男からブリーフを借りて白飯とローストビーフとシチューを貪った。
「祖国へ帰れば誰もあたしに手だしはできない」
青い瞳とぶつかって目を伏せた。
「逃がしてあげてもよくってよ。あたしのお城に匿ってあげる。そこでハニーは一生,安全に暮らすの――」男がそばに来て肩を寄せた。「でもね,お城を出た途端に誰かが追ってくる。だからハニーはお城のなかにひたすら隠れすみ,あたしの来訪だけを唯一の楽しみにして,待ちこがれ,思いみだれ,老いさらばえていくのだわ」
滑らかに潤った唇は微笑を湛えていても,半端や等閑とはおよそ無縁な凄まじい気迫が押しよせてくる……
「死のうとしました」
「死ぬのは許さない。信条に反するもの。再び死のうとするなら連れてかえる。あたしのラバーとして一生幽閉するわ」
罪を犯すに至った経緯をつぶさに物語った。
「お高くとまってると笑われるでしょう。でも僕は汚れたくなかった。なのに,こんなことになってしまった。世間から侮辱される境遇に落ちてしまった――」
「ハニーを侮辱する世間ならば見限っておやりなさい。あたしの国にいらっしゃいな。罪を償ったらばあたしと一緒にイングランドへ行きましょう。そうね,フランスへ留学するのはどうかしら? あちらで好きな絵の道を究めるの」
裸体にエプロンだけをつけた男の股に挟まれて泣いた。
「ラグシャスタートン公……えっと,何でしたっけ?……」男の名を呼ぼうとして口ごもる。
「ラグシャスタートン公オーゴシスメス・ジュピタリヴァー・フォッテロンよ――ジュピタラーと呼んでちょうだい」
「では,ジュピタラーさん――」
「待って,待ってちょうだい――敬称はいらないわ。敬語もよして――よそよそしいじゃないの」
「じゃあ,ジュピタラー――」
「うん,なあに?……」うっとりと人を見つめて,すぐさま真顔に戻る。「ちょっと待って,駄目よ,駄目――ハニーの名前も教えてよ」
「僕は円結夢――お金の単位の円に,お結びの結に,悪夢の夢と書くんだよ」
「……そう,結夢……素敵な名前ね。一目見たときから愛しているわ」カールのかかった睫毛をおろし,金色の短毛の目だちはじめた顎をくいっとあげる。「永遠に命尽きても愛しているわ……」
「ジュピタラー――」
「早く,待てない――」
「お願いがあるんだ」
「ええ,よくってよ――好きにしてちょうだい――もうどうにでもして!――」
「ペットを飼ってるんだ。ウツツという猫を」
自首する前に家に立ちより,ウツツを預かってもらうことにした。
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