プロローグ

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「くそっ、退けハロルド! 主人を下敷きにするなど無礼だぞ!」  エヴァンは必死に抵抗を試みる。けれど騎士であるハロルドに敵う筈がない。  そんなエヴァンをハロルドはじっと見下ろして、心底迷惑だと言わんばかりの冷たい笑みを浮かべた。 「まったくあなたと言う方は……救いようがない」そう言って、端正な顔を歪ませる。  ――ムラのない美しい灰色の髪と瞳。今年で三十三になる彼は三人の子供を持つ立派な父親だが、年齢を感じさせない精悍な顔だちをしている。顔が凛々しいだけに、睨んだときの圧は凄まじいものがあった。  だがそんなハロルドの態度に慣れきっているエヴァンは、この程度もろともしない。 「退けと言っている! 俺の命令が聞けないのか!」 「その愚かな口を今すぐ閉じた方が身のためですよ。私の主人はあなたではなく旦那様ですから」 「何だと!? ハロルド貴様、俺を裏切るつもりか! お前だってアメリアの婚約には反対していたではないか!」 「それとこれとは話が別でしょう。あなたは今朝方旦那様より謹慎を命じられたばかり。にもかかわらず屋敷を抜け出し、あまつさえこんな朝っぱらから婚約者の屋敷に逃げ込むなど、紳士以前に人としてどうかと思いますが」 「〜〜っ」  流石にここまで言われてしまっては反論の余地もない。エヴァンは今度こそ観念するしかなかった。  アナベルはそんなエヴァンを見つめ、ようやく静かになったか――と安堵の溜息をつく。  それにしたって、今までもエヴァンが取り乱す様子は何度も見てきたが、ここまで重症なのは初めてだ。普段はエヴァンだって――多少横柄なことを除けば――上流階級のマナーをわきまえた立派な紳士だと言うのに、どうしてアメリアが関わるとこれほどポンコツになってしまうのか。 「……クレア。あなたは下がっていいわよ。あとはわたくしがどうにかするわ」  アナベルは入り口で茫然とする侍女クレアに部屋から出て行くように指示し、自分は再びソファへと腰を落ち着けた。  そうして今度はハロルドに尋ねる。 「それで、ハロルド卿。エヴァンが謹慎ってどういうことかしら」  するとハロルドはようやくエヴァンから腕を放し、申し訳なさそうに両目を伏せた。 「それが、エヴァン様は今朝方アメリア様の婚約成立の件を聞きつけるなり激高されまして。アメリア様の寝室に押し入ったかと思うと、屋敷中に響き渡るほどの声で罵声を浴びせ、それを止めようとした使用人ら数名に怪我を負わせたのです。幸い怪我は擦り傷程度だったのですが、事を重く見た旦那様が一週間の謹慎処分を命じられたのでございます」
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