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オールストン伯爵家の令嬢アナベルのもとに、婚約者のエヴァンが駆け込んで来たのはまだ早朝のことだった。
「力を貸してくれ、アナ! 婚約を破談にするためにはどうしたらいい!」
「――はい?」
そのときアナベルは、朝食を取るため侍女クレアと共に自室を出るところだった。
だが丁度そのときノックもなしに突然扉が開いたかと思うと、そこには婚約者であるエヴァンが立っていて唐突にそう告げられたのである。
「破談、ですって……?」
その内容はあまりに突然すぎるもので、いつもは冷静なアナベルもさすがに驚かずにはいられなかった。思わず淑女の微笑みを崩しかけたほどである。
――“婚約を破談”にしたい? 聞き間違い……ではないわね。
アナベルの前に立つエヴァンは、侍女のクレア以上に蒼白な顔色である。それを目の当たりにしたアナベルは、エヴァンの言葉が決して聞き間違いではないことを悟った。
「ええっと……エヴァン? 全然話が見えないのだけれど……」
エヴァンは、それこそ自分やクレア以上に狼狽しているように見える。
それはアナベルからすればよくよく見慣れたエヴァンの姿であったが、けれどいつもと違うのは、ここに自分以外の人間――つまり侍女クレアがいることだった。
単刀直入に言って、普段のエヴァンは横柄である。
気の置けない者以外の前では愛想笑いの一つもしない。当然使用人とは必要最低限の会話すらせず、目を合わせることもない。貴族相手であろうと口数は少なく、日常的な会話が成立するかも怪しいレベルだ。
だからアナベルは、そんなエヴァンが侍女クレアのいる前で狼狽えている姿に酷く違和感を覚えた。
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