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鑑識係が殺害状況を説明した。
死亡推定時刻は昨夜午前一時から午前三時の間。
被害者は左胸部と左右の背中をアイスピックのような鋭い刃物で刺されたあと、お堀に転落して溺死した可能性が高い。被害者は分厚いコートの下にセーターやトレーナーを重ね着しており、刃物による失血死ではないと推測される。手に防御創あり。凶器は発見されていない。
ケータイ、財布、キャッシュカードなどの所持品がないため、身元が判明するまで時間がかかりそうだという。強盗の犯行なのかトラブルによるものなのか、いずれも現時点では不明だった。
「ダイバーに潜らせるけど、詳細は現況をもう少し調べないとわからんよ。あと、ちょっと、これ見てくれるか」
鑑識係は採取袋に保管された便箋を差し出した。
「遺留品かい?」
大黒橋はたずねた。
「うん。被害者のそばに落ちてた。詩のような文章が書いてある」
「詩? なんだ、そりゃ」
「そいつを調べるのがあんたの仕事だろ」
大黒橋は検案中の遺体に歩み寄った。年齢は六十代から七十代くらいだろうか。黒縁眼鏡は外れかかり、こげ茶色の冬物コートの数か所の穴が空いていた。履いていた靴を見て、大黒橋は首を傾げた。ひざ下まで隠れるごついブーツだ。靴底はスタッドレスタイヤのようにゴツゴツしている。今は三月下旬である。桜も咲いている。厚着とスノーブーツとは異様な気がした。雪深い田舎から出てきたのだろうか。
大黒橋は覆面パトカーに戻ると、採取袋の便箋に目を落とした。楷書体の文字が透けていた。
かろやかにメヌエット
リルケは暗闇の薔薇
印象派の光は淡く 少女たちを惑わす
アミティエは遠く
カマルグでひとときの饒舌とカフェを
或いは
夕月を探して酒を酌み
人形の家で眠りにつく
詩なんてさっぱりわからん。
大黒橋は首をひねった。
一つ一つの単語の意味は解っても、つなげてしまうと抽象的すぎて、まるで暗号文だ。事件と関連する文章なら、犯人を示唆しているのか。解析は後回しにして、目撃者探しと防犯カメラを片っ端から当たっていくしかなさそうだ。
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