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昭和五十二年、秋。
東京飯田橋にある大学キャンパス。
影山梨沙子はフランス語の授業を終えると、そのまま学生会館へ直行した。学生会館は二百を超えるサークルが混沌と集合した七階建の建物だ。建物の外壁や玄関ホールの壁には、多摩丘陵移転反対のアジびら、コンサートの告知、自主映画宣伝のポスターなどが所狭しとばかりに貼られている。学生会館の入り口で、梨沙子は一年先輩でかつ親友の門伝敦子と一緒にになった。おでこを広く見せたショートヘアと大きな眼がトレードマークの彼女は「もんちゃん」のニックネームで慕われている。
二人はエレベーターに乗り、七階で降りた。
暗い通路の両側には鉄製のドアが連なり、ドアにはサークルの表札がぶら下がっている。○○部、△△同好会というように。
梨沙子たちが所属する文芸同人会は718号室。
椅子で押さえたドアは開きっぱなしだ。
鰻の寝床のように細長い部屋は、いつものことながら煙草のどす青い煙と紙カップコーヒーの匂いがこもっていた。窓は開いているが、換気の役目をはたしていない。
「はい、はい、はい」リーダー格の利紗子はパンパンと手を鳴らした。「男子諸君、タバコやめい。きょうは読書感想会なんだからね。ちゃんと高橋和巳、読んできた?」
「あれ、もんちゃん、きょうは感想会参加できるんですか」
三年生の伊崎雅也が煙草を揉み消しながらきいた。四年生はこの時期はみんな就職活動に専念しており、サークル活動にも授業にも顔を見せないのが通例だった。
「修太は広告代理店に内定してるし、あたしのバイトは本日は休講。だから顔みせにきたよー」
もんちゃんはにこにこしながら答えた。もんちゃんには西島修太という婚約者がいて、卒業後には挙式が決まっていて、それはみんなが知っている事だった。結婚後は専業主婦にはならず、家計のためにも家庭教師のバイトを続けるつもりだという。
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