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 ヨリさんが蕎麦をすする。  この蕎麦屋の常連であるヨリさんは、とても暗い人だった。毎日ランチの時間にやってきて、お決まりご膳という千円ぽっきりのお得セットではなく、五五〇円のたぬき蕎麦、もしくは鶏卵蕎麦を注文する人。あんかけのお蕎麦が好きな人だった。  普段からしかめっ面して蕎麦を食べ、口から出るのは愚痴ばかり。ご近所さんの愚痴、親族の愚痴、政治の愚痴。この人は人生が思うようにいかなかったのかな、と私はヨリさんの愚痴にそうですか、と相槌を打ちながらむなしくなった。どことなく、私もこうなるんじゃないか、なりたくないな、という思いがあった。  そのヨリさんだが、ここ二週間くらい、あまり愚痴を言わなくなった。緩やかな変貌。しかめっ面が作っていた皺が減った。下向きだった視線が上がった。お化粧の色が明るくなったのか、それとも血色がよくなったのか。 「何かいいことがあったんですか」  私がそう聞くと、 「そうなのよ、エマちゃんも困ったことがあれば入らない? 私、入信してからすぐに悩みなんか、なくなっちゃった。やっぱり人間、無欲でなくてはいけないのね」  そう言ってヨリさんは綺麗に折り畳まれたチラシを差し出した。『天空の泉』という宗教団体。覚醒する真理、と謳われているが、今どきこんなのにハマるかな。いや、ハマる人がいるからチラシを刷るお金くらい湧いてくるんだろう。 「エマちゃんは、悩み事無いの?」 「ないですね」 「困り事があったら遠慮せずに言ってね。真理は天空にあり、なのよ」  ヨリさんはピッと人差し指を上に向かって立てて、微笑んだ。その指の先には真理があると言わんばかりだった。
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