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私の生い立ち
私が安楽死を望むようになった理由ですが、キッカケは自分でも良く解りません。
自己分析によると、単に飽きたのだと思います。
ただどうして私は生きるのに飽きてしまったのか。
もしかすると今まで歩んできた生き方に原因があるかも知れないので簡単に触れておきます。
多少恵まれた部分があっても、自慢目的ではなく単に詳らかにしただけで、かつ過去はどうあれ現在では死すら望む転落の状況に変わりはないためご理解願いたく思います。
まずは幼少期から。
小学校入学前の知能テストでは全ての設問に回答してしまい、その場で教室に一人残された記憶があります。非常に優秀でした。
身体は小さかったですが、運動も得意で様々な競技で幾つかの学年記録を更新しました。
ただ、気が小さく、クラスの中心と言うよりも控えめなグループに属していたと思います。
食べ物の好き嫌いは非常に多かったです。
習ってない言葉や漢字は使うな、周りに合わせろ等、先生から抑え込まれた教育を受けたことが印象深く残っており、出る杭は打たれるので普通になりたいと真面目に思う小学時代でした。
中学校では既に自覚がありました。
望んだとおり普通の人生を歩むには十分な能力を有してると認識し、努力を放棄し始めます。
抑え込まれる教育に嫌気を覚え、大の勉強嫌いとなりましたが、何となく通学可能な範囲で一番偏差値の高い高校へ進学。
高校から転落は始まります。
抑圧から解き放たれたように遊び呆け、底辺オブ底辺の成績及び出席率を終始一貫しました。
しかし一方で、ヒッチハイクで日本中を旅したりと、青春という言葉通り私の人生において高校時代はかなり楽しい時期だったと思います。
ただし、その頃から性格レベルに染み込んだ怠け癖がその後の人生にも大きな影響を与えていると思います。
そして遊び呆けていたせいで一年浪人することに。
普通の大学に入学、一人暮らしを始めます。
学生会(生徒会みたいな組織)にも入る。
深夜バイトを始め、男女問わず夜の世界の人々と交流するようになりました。
派手な異性関係の人。
常に金に困ってる人。
不倫相手を孕ませて離婚する人。
世の中の底辺を垣間見た思いでした。
色々と良くないことも覚えました。
我が人生中、最も底辺にいた時代ですが、逆に楽しい時期でもあったのは確かです。
就職は誰もが名を知る上場企業へ奇跡的にも正社員として就職できました。
が、全国転勤が嫌なのと楽な仕事を求め、2年で「安定」という言葉で思い付く職業に転職しました。
そして転職の年、25歳で高校からの付き合いの妻と結婚。
子供も3人、元気に産まれました。
現在も成績は極めて優秀です。
30歳で家を建てました。
以後、特にありません。
趣味でスポーツをしており、筋トレもします。競技も友人達と様々なスポーツに取り組んでいます。
後で触れますが、適度な運動は健全な思考を増進しますので、そう言った意味でも鬱やネガティブ思考を拗らせて死にたい訳ではないと考えています。
やはり、自己分析結果は生への「飽き」です。
本当に何ら問題なく、ぬるま湯の人生を漫然と過ごしてきました。
変化の無い日常に飽きを覚えながらも気付かぬフリをして日々をやり過ごし、気付けば楽に死にたいと願うようになっていました。
子供達の成長は当然楽しみではあります。
死にたくはないです。
ですが、生きていたいとも思わない。
ただ、苦しまずに眠りたいだけなのです。
だから安楽死制度を作りたいのです。
当然、安楽死制度を有する国があることも承知しております。
ですがそれは、私の求めるような内容ではありませんでした。
また次回以降で、安楽死制度のある国について触れていきたいと思います。
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