夜の帳が下りる頃

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「なあ、なんでそんな風に俺に笑えるの?」 「え?」 「あんな事があったのに、なんで俺なんかに笑えるんだ?」 「俺なんか、って……お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ」 「どうして千夏にあんな態度取った?」  義兄の困惑した表情は何かを感じ取ってるようだった。  男らしい切れ長の瞳が探るように覗き込んできて、真っ直ぐな視線に口ごもる俺は言い訳を必死に考える。 「……こっちに来ちゃダメだよ、和希」 「え?」 「苦しむから、来ちゃダメだ」  それだけ言うと涼義兄さんは部屋を出て行こうと立ち上がる。俺はそれが嫌で義兄の手をギュッと握る。  義兄の引いたボーダーラインはきっと俺を守る為の言葉だった。どんなに真っ直ぐ人を想っても、周りから理解されない経験をたくさんしてきたからこそ出てきた言葉。  自分の母親にさえ理解されず、千夏さんに頼んで彼女として家に招き入れて安心させる。開き直るよりもずっと辛い日々だったろうと思う。 「ねぇチェスしようよ、いいでしょう?」  義弟を演じれば少しは安心出来るんじゃないか?そう思ったから繋いだ言葉。自分の首を真綿で絞めていく行為でも、中二の頭で精一杯考えて出した答えだ。 「いいよ」  微笑んでまた座る義兄がチェスのボードを箱から取り出して並べる。ルールなんてすっかり忘れたのに何となくしか覚えていないゲームを始め、それでも必ず俺に勝たせてくれる。  そんな、お人好し過ぎる義兄だった。 「お兄ちゃん、か」  独り言を呟いて一息吐くと、有り余る時間の中でチェスのボードを思い出す。チェスは義兄が引っ越しを決めた日に譲り受けた。ルールもちゃんと分かってないのに、散々二人で遊んだそのチェスは、今度は俺が引っ越しする時に一緒に此処へと越した。  今はもう対戦相手がいないから義兄がいなくなってからは一度も遊んでいない。  何処にあったかと冷めたカフェオレ飲み干して収納棚を開ければ、あっさり出てきて箱を引っ張り出した。  またやろう、そう約束してからもう何年も経っている。  俺が就職してからは実家に行くことを避けていたが、義兄はCOVID-19の流行前は年に四回必ず帰っていたようだ。  会うのを避けた理由は、俺が高校一年の冬の頃だった。 「チェックメイト!」  覚えるつもりがないのか、それとも毎回勝たせてくれるからなのか、まだあやふやな覚えのままチェスをしようと誘って義兄の部屋にお邪魔する。  この時ばかりは自分だけの存在で他人を気にする必要がないから、ガキの頃みたいにべったりくっつく日常に戻ってた。  
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