第一話 いきなり始まったソレ

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 アナウンスは続いた。 「さて、グールウィルスが投与されたのは、みなさんのうちの一人だけです。ほとんどの人には何も起こりません。しかし、放置しておけば、みなさんはに食べられてしまいます。そこで、救済措置として、一日に一度、夕食のあとに裁判をひらきます。みなさんは相談の上、グールだと思う人を決めてください。我々がその人を拘束し、処分します。処分が成功すれば、翌朝の犠牲者はありませんから、グールは始末されたことになります。その時点でみなさんはここから解放されます」 「処分? それって、処刑、するのか?」と言ったのは、背の高い青年だ。二十代なかばで、わりとイケメン。学生時代には運動部のキャプテンをしてましたって感じ。沢井、という名字が名札に記されていた。 「さようです。我々もすでにどのアンプルにグールウィルスが入っていたのかわかりません。ランダムに投与しましたので。処分しなければ、屍食(ししょく)は止まりません」  詩織はふるえが止まらなくなった。  そうだ。さっきは自分がグールになっていたらとしか考えなかったが、確率から言えば、そうでない場合のほうが高いのだ。誰かわからないグールに殺されて、食べられてしまうかもしれない。 「で、でも……」と、今度、口をひらいたのはメガネをかけた細身の青年だ。これも二十代だろう。席が遠いので、名札は見えない。 「でも、グールになった人が必ず人を殺して食べるとはかぎらない。だって、自分がそうだとわからないかもしれない」  なるほど。そのとおりだ。それに、自分がそうだとわかっても、人を殺したり、食べることにためらいをおぼえない人なんていないはずだ。迷っているうちにが進行してしまう。  だが、詩織のその考えはあっけなく否定された。 「グール化の兆候は数時間で現れます。当事者はただちにわかります。また、兆候が現れたのち数時間のうちには、タンパク質を補充しようという本能が強烈な飢餓(きが)感となって本人を襲います。飢餓状態のときには理性がいっさいききませんので、確実に一日ぶんのタンパク質を摂取するまで本人の意思はなくなります」  つまり、グール側はその他の人たちのために、何一つ手心はくわえてくれない。羊の群れのなかにライオンが一頭まじっているのと同じである。しかも、そのライオンはふだん、羊の皮をかぶっている。  自分以外の人に対する不信感が、いっきにひろがっていくのが目に見えてわかった。誰もが恐怖に満ちた目で周囲の人々を見る。  おそらくたっぷり十分は、無言のまま近くの人の顔を、それぞれ、うかがっていた。  ふいに泣き笑いのような声で、女が笑いだす。三十代くらいか。どこかやつれて見える女だ。河合、と名札には書かれている。 「わかった。これ、ドッキリでしょ? なんかのテレビ番組が素人をだまして、おもしろがってるんでしょ? こんなバカバカしいこと、起こるわけないもんね。日本は法権国家なんだから」  そうであってほしいと願うような笑い声が、しばし響く。  アナウンスは冷たく言い放った。 「でしたら、今夜の裁判をさっそく初めましょう。処刑の場面を見れば、みなさん信じてくださるでしょうから。今から十分間、みなさんに猶予(ゆうよ)をあたえます。誰がグールなのか、熟慮してください。十分後に多数決で処分する人を決定します」  プツンとアナウンスの切れる音がした。  被験者と言われた人たちは、それでもまだ沈黙でたがいの顔を見あっている。 「これじゃダメだ」  言いだしたのは、さっきの沢井という青年だ。 「十分しか時間がない。どうするんだ? みんな。結論を出さないと」  四十代の男がうなずく。  会社の役員っぽい。高そうなスーツを着ている。名前は木村。 「兆候があるって言ってたろ? みんなで調べあったらどうだろう?」 「でも、どこにどんな形で出るんですか?」 「さあ、わからんが何もしないよりはいい」 「そうですね」  沢井と木村が二人で話すのを、ほかの人たちは見ているだけだ。  さっきの河合という女はまだ笑っている。 「やっぱりドッキリなんでしょ? 白々しい芝居、いいかげんやめてよ」  なんて、つぶやく声が聞こえた。 「あの、とりあえず、注射跡を調べてみたらどうでしょう? たぶん、壊死が進むとしたら、その部分からだと思うんですよね」  高校の制服を着た女の子がそう言いだしたので、詩織はおどろいた。まだ十六、七だろうに、ずいぶん冷静だ。  またうなずいて、木村が言う。 「たしかにそのとおりだ。みんな、腕を出してくれ」  何人かは素直に服をめくった。詩織もたしかめてみた。しかし、なんの変化もない。たしかに針を刺したあとが、ぽっちりと赤くなっている。それだけだ。  すると、今度はアラサーの派手な顔立ちの女が言う。かなり美人だが、性格はキツそう。 「兆候が出るのは数時間後って言ってなかった? たぶん、わたしたちが気絶してたのは一時間かそこら。まだ兆候は出てないんだと思うな」  うーん、と木村や沢井がうなる。この状況で誰か一人をするなんてできない。  だが、十分なんて、あっというまだ。  ふたたび、アナウンスが告げた。 「決まりましたか? 今夜は誰を処分しますか?」  全員が緊張した顔で、黙りこむ。
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