第二話 死体のある朝

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 沢井は男をかるがる押さえながら、大声を出した。 「みんなはどう思う? この男が白か黒か、ハッキリさせたほうがいいと思うか?」  即座に、 「それはそうでしょう」と答えたのは、昨日もホールで発言していた派手な顔つきのアラサー女だ。性格がキツそうだなと、詩織の感じた女。今日は名札が見える。初瀬(はつせ)里帆子(りほこ)。  里帆子は重ねて言う。 「昨日の夜からもう十二時間以上たってる。注射跡を調べてみたら?」  もっともな意見だ。  沢井は男の腕を背中にねじりあげ、袖をめくりあげる。 「イテテテテ。痛いって」  しかし、注射跡のまわりは別になんの変化もなかった。詩織の距離では、針のあとも見えない。とくに異常はないことしかわからなかった。 「見た感じ、兆候はないな」 「でも、兆候っていうのが、注射跡のまわりに出るとはかぎらないでしょ。それがどんな印なのか、知ってるのはグール当人だけ」と、里帆子が言う。この人はやけに医学的な知識に詳しい。  里帆子はみんなの視線に気づいたのか、こう述べた。 「わたし、看護師だから」  なるほど。それなら、一般の人とは異なる着眼点を持っているかもしれない。 「看護師のあなたから見たら、どんな症状が現れると思いますか?」 「壊死が進行すると言ってたでしょ? たぶんだけど、まずは鬱血(うっけつ)じゃないかな。体の一部が青くなる。ただし、天井の人が言うようにタンパク質を補給することで進行が遅れるなら、鬱血は周期的に出たり、消えたりするかもね。タンパク質を補給した深夜から午前中にかけては、あんまり目立たないでしょう」 「鬱血か」 「鬱血の前の症状として、他人から見ただけではわからないけど、体の(しび)れがあるはず。その段階で、本人には自分がそうだとわかる」  それを聞いて、沢井に押さえられた男は主張した。 「おれは違う。痺れもないし、体のどこも青くなってない! 調べたければ調べればいいさ。素っ裸にだってなってやる!」  男が服をぬぎだしたので、詩織は顔をそむけた。おじさんの裸なんて見たくない。  数分たって、沢井の声がした。 「たしかに、印はないな。でも、それは今が午前中だからかもしれない。夕食の前に、もう一度調べて、それで何も変化がなければ、あんたは違うってことだ」  とりあえず容疑が保留になったので、男は安心したようだ。もしグール本人なら、夕方にもう一度調べられればおしまいだ。この男は違うのかもしれない。 「じゃあ、えーと、青居(あおい)さんか。あんたは夕方まで、おれたちが交代で監視してる。どこかへ隠れたり、逃げだしたりしないように」 「逃げも隠れもしないけどな」  青居にかかずらわっているうちに、数人がホールからいなくなっていた。あの美青年も。彼が気になる詩織は落胆した。彼はなんだか人をさけているように見える。話してみたいのだが、そんなふんいきではなかった。  食堂に残っていた人物たちは全員、昨夜を複数人ですごした人たちだ。全部で十人。これで十七人はグール容疑から除外される。半数以上の真偽が判明した事実は、かなり大きい。  沢井は木村と相談して、デイパックからルーズリーフをとりだすと、それにボールペンで嫌疑の晴れた人たちの相関図を書きだした。昨夜、同室でいた人数とそのメンバーの名前を、グループごとに記述する。 「じゃあ、おれたちがA班。結城さんたちがB班。才木(さいき)さんたちがC班。初瀬さんたちはD班。初瀬さんと河合さんは二人しかいないから、グループ行動するときは、E班の津原(つはら)さんたちと合流してください。とくに夜は一人にならないように」  沢井はそんなふうに宣言した。すっかりリーダーだ。  才木さんというのは、あの金髪美少女である。てっきり西洋人かと思ったが、名前は日本人のそれだ。皮膚の白さからハーフだろう。フルネームは才木アリス。オタクっぽいのや若い男を数人したがえている。  E班の津原というのは、メガネをかけた青年だ。初日にちょっとだけ発言していた。同い年くらいのもう一人の男とペアになっている。  香澄がポケットからスマホを出して、沢井の書いた相関図を写真に撮った。 「このメンバーは夜中に会っても安心ですね。おぼえとかなくちゃ」  そのとき、詩織はふと疑問に思った。みんな自分の荷物を持っているのに、なぜ詩織の所持品はないのだろうか。ここにつれられてきたとき、何も身につけていなかったのだろうか?  それに、里帆子は自分を看護師だと言った。自分の職業をおぼえているのだ。つまり、記憶喪失のていどが人によって違う。詩織は子どものころのことも、成人してからのことも、仕事も、自宅の住所も、家族も、何も思いだせないのに。  もしかしたら、自分だけほかの人とは少し条件が違うんじゃないかと思った。  それじたいが、なんとなく怖い。  まさか、自分がグール……なんてことはないはずだけれど。
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