悲願の彼女

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悲願の彼女

 『ピンポーン』普段はセールスすら鳴らさないインターホンが鳴った。部屋の天井まで積み上げられたゴミを掻き分けてインターホンを覗いた。  緑色に変色した液晶に写っていたのは、半年前出ていった彼女だった。  黒くて綺麗な髪。白いシンプルなワンピースと茶色いポシェット。前髪に隠れて顔は見えないが確かに彼女だ。  慌ててゴミの山を掻き分けて玄関へ向かった。ペットボトルに足が引っかかって転けても四つん這いで玄関まで走る。  玄関を勢い良く開けた。マンションの通路にゴミが溢れた。  周囲を見回すが彼女は居ない。通路から体を乗り出して下を覗いた。彼女がマンションの前でこちらを見上げていた。  懐かしい気持ちに思わず涙が出る。このマンションはオートロックだ。以前一緒に暮らしていた時も、彼女は鍵が開くまでああしてこちらを見ていた。  ゴミと共に流れ出たサンダルを履き、玄関から流れ出た桐の箱を持って、エレベーターに乗った。扉は開けっ放しだ。  大切な物はこの箱の中にある。他はもう、どうでも良い。  フロントの従業員が一瞬嫌な顔をこちらに向ける。それもそうだ。ボロボロの寝巻きにサンダル。木の箱を抱えた姿は、夜逃げと間違えられても仕方ない。  さっきまでここに居たはず。マンションの前に出ても、そこには誰も居ない。  彼女はマンションから少し離れた十字路に立っていた。走って向かうも、すぐに息切れして辿り着けない。  「待って! 息が!」  彼女は待ちきれないと曲がってしまう。  何で今になって現れたのか。何で逃げるのか。疑問は尽きないが、それでも追いかける以外の選択肢はない。  十字路を曲がるとコンビニがある。どこにでもある普通のコンビニだ。  昔はこんな距離、一瞬で走れたのに。二人で競争なんかして、着いたらアイスを分けて……楽しかったなぁ。  彼女はコンビニの奥。急な坂の上で座って待っていた。そこから逃げる素振りは今のところ感じられない。  この坂を登れば。  最後の力を振り絞って坂道を駆け上った。  足がふらつく。息も苦しい。気を抜くと倒れそうだ。それでも彼女に会いたい。その一心で走り続けた。  遂に頂上だ。眼下には急坂な下り坂。頂上には、ひしゃげたガードレール。彼女はもう坂の下だ。  分かってた筈だろう? 頭の中で声が響く。 「違う!」  ならその箱は? 大切なものってなんだ?  この中身は…… 「忘れた! 覚えていない!」  坂の下の彼女が揺らぐ。  違う。覚えて無いんじゃない。思い出したくないんだろう? 「違う!」  なら何故頑なに開けようとしないんだ? 忘れたなら開けて確認すればいいじゃないか。 「それは……分かった。開けるよ」  白い紐で縛られた桐の箱を丁寧に丁寧に解く。  中から出た白い陶器の容器を開けた。  彼女だ。彼女はここで。車に。  思い出したくもない記憶が男の頭を駆け巡る。  陶器の容器の蓋を閉める。もう坂の下に彼女は居ない。いや、元から居やしなかったんだ。  立ち上がると、箱の隙間から一枚の紙が落ちてきた。 「これは?」  紙を拾う。メモ用紙だ。それを拾うと、俺は絶句した。 『私、あんなゴミ屋敷に住むなんてごめんだからね』  当然こんなもの、書いた記憶は無い。  彼女が生前に書いたのか。いや、ゴミ屋敷になったのは彼女が死んでからだ。予測など到底不可能。  しかし、この柔らかい文字は、丸っこい可愛らしい字は、彼女の書き方そのものだ。  もしかしたら、彼女の幽霊が叱責しに来てくれたのか? そんな古今無形なことを考えながら家に帰った。 「ふぅ、疲れた」  男は途中コンビニで買ったアイスを咥えながら、同じくコンビニで買ったゴミ袋を広げた。 「ん?」  ゴミを片していると、インターホンが緑に点滅しているのに気がついた。 「嘘、だろ?」  インターホンに保存された過去の画像には、確かに彼女が映っていた。

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