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第1話 (その2)
そんな早口のスラング、俺に分かる訳ないやろ――とは言えず、弘明はありぐりと口を開けたまま聞いていたが、どうにも彼女の話は止まらない。
「この会社、前にも同じことがあったのよ。ここの従業員は碌でもないの、カウンターの中の女はクズばかり、こんな会社、早く潰れればいいのよ――」
と、スラング特有の単語を連発する彼女の早口に弘明は往生した。
だが、状況が状況だけに意味は分かる。
ただ彼女の最後の一言に引っ掛かった。
「前も一緒、明日また来いと言うだけで、ホテルも手配しないのよ――」
その言葉に弘明はぞっとした。
既にホテルはチェックアウト。土曜日だから会社は閉まっている。支店長の自宅の電話番号も知らない。もし飛ばなかったら、と思うとパニ喰った。もう彼女の話を聞く気は失せて、弘明はヤキモキしながら首を伸ばして前を見た。
それでなくとも弘明にはもう一つ心配事がある。
それはニューヨークでの出来事だった。
1ヶ月の出張に、十数部のカタログと共に図面のコピーを持参していた。
だが事の発端は、弘明の持っていたアルバムの中の写真だった。
太平洋を航行中に時化で数十本のコンテナを落とした船が、横浜へドックした際に撮った写真だった。弘明の入社前のことだが、芙蓉貿易が請け負ったコンテナ金物の写真と共に図面やデーターを持参して、客先で御開帳していた。
どうやらそれが問題となったのだ。弘明が写真を見せた相手は、印度系アメリカ人のセングプタだった。彼は弘明がまだ富双造船にいた頃、船主の監督として駐在していた。彼こそ弘明の運命を変えた男だった。
「今の英語では駄目だ……正式に英会話学校へ行け」
彼が残したその一言で弘明は英会話学校へ通った。週2回、何を置いても通い続けた。そのことが会社破産後に芙蓉貿易へ転出する道を開いたのだった。
富双造船の破産後、弘明は一人でNYを尋ね、再びセングプタに会った。
その時彼は、弘明にこう言った。
「今度は名刺を持って、ニューヨークへ来い――」
それから2年、弘明は芙蓉貿易の社員としてセングプタを訪ねた。そこで弘明は勇躍して新しい名刺を出し、持参した資料と共に写真を見せたのだった。
だがその時彼は、何も言わなかった。ただ弘明の説明に深く聞き入り、写真を見て技術的な要点を聞いてきただけだった。
だがそれが、すべての事の始まりだった。
(つづく)
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