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――いや。違う。
よく見ると。薄く、
……本当に微かな淡い淡い色で、月が描かれていた。
決して手の届かない、遠く青い三日月。
そしてキャンバスの端に記された名前。
“Hikaru”
そうだ。あいつの名前って光だったよな。
そんな事さえ今更のように思い返すほど、高校生活という時間の中で俺たちの関係は重なってはいなかったのに、本当にその重なりが解けてしまう卒業という今日に胸の奥がチクリとする。
真っ白に見えるキャンバスを明るく照らす光が差し込む窓の外に目を遣ると、ここからプールサイドが見えることに気づいた。
美術室から見えるそこは、俺が夏にケガをした場所だ。
その脇を抜け、裏門へと続く道を歩く一人を見つけ俺はハッと息をのむ。
施錠を外すのももどかしく、力いっぱい窓を開いて身を乗り出した。
「濱田!!」
叫んだ声は届かなかったのか、一瞬足を止めた気がしたけれどその人は再び歩き始める。
「――ヒカル!!」
もう一度大声で叫んだ。
もう俺の中ではチームハマダなんかじゃない存在になった男の名前を呼ぶ。
今度ははっきりと歩みが止まり、自分を呼ぶ声を探すように辺りを見渡したあいつの視線が、美術室の窓辺に立つ俺を捉えた。
空をあおぐようにこっちを向いたので、いつもみたいに前髪が顔を隠すことはなく、遠くにいてもその表情は手に取るようだった。
自分の名を呼んだのが俺だと気付いて、驚いたように目を開くのが分かる。
そしてこみ上げる何かを抑えこむようにクッと唇を噛む。
――ほら。全然表情とぼしくなんかないじゃん。
「来月さ、サラバンキャライのライブあんじゃん」
まだ全然距離は遠いけど、背中越しじゃなくちゃんと顔を見ながら伝えた。
「一緒に行こうぜ!」
校庭に響くくらいデカい声で叫んだ俺の言葉を聞いて、泣きそうだった表情が花が開くみたいにほころぶ。
濱田が見せてくれた満面のその笑顔を、俺はもうずっと前から知っているみたいな気がした。
卒業という別れの季節。
でもそれは出発の季節でもある。
今日からまた二人の新たな時間が始まる予感を胸に、背中の三日月を優しく撫でたその人へと俺は真っ直ぐに手を伸ばした――。
【fin.】
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