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光る月に手を伸ばし
「――有光」
3学期に入ったある日の放課後、不意に声を掛けられた。
スクールバッグを手に席を立とうとした丁度その時、聞き馴染みのない声で名前を呼ばれ振り返る。
そこに立つのは、あまり表情豊かではなさそうな地味目のクラスメイト。存在感の薄いコイツは確か……、濱田……。
(…………誰だっけ?)
うちのクラスは男女合わせるとハマダって苗字がやたら多くて、区別するためチームハマダはだいたい下の名前で呼ばれている。
その中で確かコイツだけがそのまま『濱田』って呼ばれてた気がする。あんまよく知らねえけど。
で、その濱田クンが俺に何の用だ?
「絵のモデルになってくれないか」
チームハマダ唯一の濱田ってことくらいしか情報持ってないレベルに接点のない俺に、突然そんなことを言ってきたコイツに一瞬思考が止まった。
(――は?)
「え、俺……?」
「あぁ」
真っ直ぐこっちを見ながらうなずかれ、益々言葉を失う。……イヤ、表情ないのが逆に恐いんですけど。
「え、ちょっ……、俺??」
アホみたいにもう一度同じことを聞き返した俺に向かって再びうなずくと、
「有光、水泳部だよな」
そうたずねられ、今度は俺がうなずき返す。
「身体の線が綺麗だから、描かせてもらえないかな」
帰宅する者や補講に向かう者。それぞれの目的でクラスの奴らが行き交う教室で、たぶん今日初めてまともにしゃべった一人の生徒に告げられたこと。
日焼けと塩素のせいで色素が抜け傷んだ俺の髪と違って、指通りの良さそうな黒髪が目許にかかって顔を隠すから、よけいに印象薄くしている気がするクラスメイト。
無表情に感じたコイツだったけれど、そう言葉を洩らしたその前髪の向こうで、恥ずかしそうに少しだけ視線が揺れた。
その時乏しく思えた濱田の表情が、俺の目の前で血をかよわせたような気がした。
高校生活最後の冬――。
卒業まで残りわずかという日の出来事だった。
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