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初日こそ “服脱いで” と言われてひるんだけれど、もう2回目からは何の抵抗もなくパッパと上半身裸になって、自分でいつもの椅子を定位置に引っ張ってきた。
特に何かポーズを要求されるわけではないのだが、濱田は水泳やってた俺の背中が描きたいらしく、背もたれが腹側にくるように置いた椅子をまたいで座り、その背もたれ部分に両肘を乗せこいつに背を向ける体勢が常だった。
今日もいそいそとヒーターをセットする濱田の隣でいつものように腰かける。
「毎回悪いな。……これ、使って」
直接肌に触れるとけっこう冷たい背もたれの板に自分のマフラーをかけながら、濱田は申し訳なさ気にそう言った。
ガンガンにヒーター点けてくれるし、そんなに長時間じゃないからそこまで寒くはないんだけれど、少し目を伏せた済まなさそうなつぶやきを聞いてまたちょっと笑えてしまう。
「おぉ、気が利くじゃん。サンキュー」
乗せられた柔らかなウールの感触に笑顔を向けると、伏せていた視線を上げ俺と同じようにクスリと笑った。
そしてその目線が何かに気付くようにふと逸れ、あらわにしている背中に移ったのが分かる。
「……あ。――傷」
束の間を置きポツリと言葉が洩れた。
「ん? ああ、それ。目立つ?」
濱田が何のことを言っているのか予想はついた。たぶん左の肩甲骨辺りに残っている傷跡のことだろう。
超カッコ悪いからあんまソレに触れて欲しくないんだけどなあと思いながら、ふとつぶやいた言葉に答えた。
「俺、部活の最中ここのプールで思いっきりコケたことあんだよね」
振り返るようにして首をひねってみても、自分では見えない場所を肩越しに覗き込みながら話す。
「女子部員にキレイな先輩いてさ、顧問がいなかったのをいいことに同学のヤツらとふざけて飛び込みしたりして、その先輩の気を引いてたわけよ。そしたら派手に滑ってスタート台の角でザックリ」
すっげえダセェだろ? と苦笑いで頭をかく俺を見て、話を聞いていた濱田がその状況を想像したのか痛そうに眉を寄せた。
「あ……。高一の夏休みん時のケガ?」
「そうそう! 高校入って最初の夏だったからさ、テンション上がってたんだよな。そこまで酷くなかったと思うんだけど、やっぱ水ん中じゃん。めちゃくちゃ出血したみたいになって恥ずかったわぁ」
病院行って縫う羽目にはなったけどやっぱり跡残ってんだと思いながら、プチ黒歴史を思い返しマフラーに顔をうずめて項垂れていた。
そんな俺の背後で微かに動く濱田の気配を感じた時、そっと肩甲骨に触れる指先に気付く。
傷跡をたどるみたいに冷たい感触がゆっくりと伝い下りた。
「――三日月みたいだ」
それは弧を描くようになぞられ、どこか慈しむように優しく動く。
傷にそって撫でる指は冷たいはずなのに、なぜか触れられたその場所からトクンと温かいものが伝わってくる気がした。
温熱ヒーターの微かな音が響く美術室。
その時コイツの指先が小さく震えていたことに、俺はまだ気付かなかった――。
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