初めての絵美

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 隣の席の絵美ちゃんは笑わない。 「ねえ、どうして笑わないの? 笑ったらきっと素敵なのに」  そう聞くと絵美ちゃんは。 「笑うタイミングじゃないから」  うん、確かに無理に笑う必要はないと思う。 「でも、同級生が鼻にストローを突き刺して牛乳を飲みながら話しかけてくるんだよ? 微塵も表情が変わらないのはおかしくない?」  私の頭にぽこんと何かが当たった。 「おかしいのはお前だよ坂戸。授業中になにやってんだお前」 「先生、だって絵美ちゃんが笑ってくれないから……」 「今やることじゃないだろ。牛乳こぼれてるぞ、拭け。後で職員室なお前」   「いいか坂戸、もう授業中に鼻から牛乳を飲もうなんて考えるんじゃないぞ?」 「はい先生、次はオレンジジュースにします」 「飲み物の問題じゃないからな? 次やったら親御さん呼ぶぞ。いいな?」 「え? 海外にいるママを呼んでくれるんですか!?」  先生はため息をついた。 「もういい、いけ」  職員室から出ると、絵美ちゃんが待っていた。 「お昼」  彼女はポツリと呟く。 「絵美ちゃん! 私を迎えに来てくれたの?」  抱き着こうとするとすすっと避けられる。 「違うわ。どうせ捕まるから。先に捕まりに来たの」 「それって迎えに来たって言うんじゃないの?」  中庭の日当たりの悪いベンチが昼休みの定位置だった。  私は絵美ちゃんと一緒にベンチに腰掛ける。  今日は学校中を追いかけっこしなかったから日陰はちょっと肌寒い。 「絵美ちゃんあったかいお茶もってきたけど飲む?」 「飲む」 「絵美ちゃん、ご飯足りる? 作りすぎちゃったから分けてあげようか?」 「作りすぎって分量じゃない気がするけど……」  重箱を取り出すと絵美ちゃんは箸をおいた。 「ねえ、坂戸さん……私に構って楽しい? 坂戸さん、最初はクラスの子達と仲良かったのに、私を笑わせようとどんどん変なことして、友達いなくなって……」  絵美ちゃんは自分が悪いかのように目を伏せた。  そういう顔は見たくない。 「絵美ちゃん!」  私は彼女の頬を両手で挟み込む。  絵美ちゃんは驚きに目を見開いた。 「構って楽しいかって……それは楽しいに決まってるよ! だって、私絵美ちゃんみたいな妹が欲しかったもん!」 「妹って……」  絵美ちゃんはため息をついて、私の両手を振り払った。 「私、こう見えても留年生だよ。だからお姉さん。いい?」  絵美ちゃんは少しだけほほを膨らませて私を睨む。  こ、これは……。 「絵美ちゃん、かわい――怒ってるの?」  絵美ちゃんはしまったという顔になった。 「あ……ちが、今のはその……」  しどろもどろになる絵美ちゃん。動揺する顔もまた初めて見た。  顔を隠すようにうつむいた絵美ちゃんに、私は抱き着いた。 「絵美ちゃん今日はいつもより表情豊かだね! やっと心を開いてくれたんだね、嬉しい!」 「え……え、表情、豊か? 心を開いたって……嬉しいって。坂戸さん、私留年生だよ……私なんかと一緒にいないほうが」  私は絵美ちゃんから離れて両手をぎゅっと握りしめた。 「留年生なのは知ってたよ? でも、留年生だから一緒にいちゃいけないなんて誰が言ったの? 私、初めて会った時から絵美ちゃんが大好きだよ! 一目ぼれ!」  もちろん、友達として。 「……な、な!」  絵美ちゃんの手はあったかかった。  顔が真っ赤になって、振りほどこうとする必死な様子が可愛くて、私はつい立ち上がった。踊り出したい気分ってこういうことをいうんだきっと。 「絵美ちゃん、今日は色んな顔を見せてくれるね」 「ちょ、やめて、離して! 急に踊り出すのは、ほ、ほらみんな見てるから!」  確かに、廊下を渡っている生徒がこっちを見ていた。  でも、ただ踊ってるだけ。  悪いことしてるわけじゃないから気にならない。 「は、恥ずかしい……」 「あ! 絵美ちゃんちょっと笑顔になってない?」 「違う! これは恥ずかしくて口元がむずむずして……うう」  一瞬だったけど、絵美ちゃんの初めての笑顔は素敵だった。  私の目に狂いはなかった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!