ナツへのトビラ

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ナツへのトビラ

 長期休暇中の休日出勤ほど嫌なものは無いと、あたしはこの会社に勤めて知った。 「お盆休みにわざわざ休日出勤してレイアウト変更とか普通するか⁈」 「この会社じゃいつものことだよ。文句言っても仕方ない」  途中入社の同僚にそう言うも、なんの慰めになってないんだろう。彼とはお互い二十四歳の同い年だからか、割と本音で話せてありがたい。他の人はもう言わなくなったその当たり前の意見も激しく同意だし、できることなら自分も早く帰りたい。 「そのくせ上司はちゃっかり午後休かよ。自分だけズルくね?」 「…………」  それ一昨年のあたしも思ったなぁ。だいたい部署のレイアウト変更とか毎年やるもんじゃないと思うけど、先輩社員曰く「あの女王様がウチの上司であるお限りこう」らしい。 「早く終わればその分早く帰れるよ。頑張ろ」 「仕事の合間に棚の長さ測らされて、レイアウト変更の案提出させられて、全員に確認とって、休日潰して汗水垂らして、埃かぶって、モノ捨てて!  掃除機かけて、全ッ部配線し直すとか冗談じゃねぇよ。午前だけで終わるかってんだ。あの女王サマもクッソ重い棚、移動してみろっての!」  同僚は怒り心頭らしく、ダラダラと汗を拭いながら陰口を叩いている。うん、その気持ちすごく良く分かるよ。ここにいる社員、みんな同じことを思ってきたから。 「きゃっ! ちょっと誰⁉︎ 猫なんか入れたの!」  我らが女王様……もとい、女上司様が自分のデスクでヒステリックに叫んだ。知りませんよ。冷房代が勿体無いって窓全開で作業させてるのあんたでしょうが。  ってみんな思ったはずなのに、誰も言わない。 「早く追い出して!」  ハイハイとあたしが動いた。男性陣は書類棚(二個目)をどう動かすか相談している。  わめく上司に「今します」と言って、あたしは猫を探した。 「そっち行ったから! ちょっと早くしてよ⁈ なにかあったら広瀬さんのせいだから!」  命令は常に高飛車に。  失敗は常に自分以外に。  知ってます、知ってます。いつものことですね。  あたしは上司が指を差した方を追いかけて部屋から続く廊下に出た。  ──にゃあ  あ、いた。猫だ。  足下をかすめるように、変わった模様の猫が横切った。薄手のストッキング越しに触れた体毛は柔らかく、犬とは明らかに違うきめ細かさで、気持ちがいい。 「おいで〜、ネコちゃん」  しゃがんで、腕を広げて、出来るだけ優しい声で呼びかける。  それにしたって、いったいどこから入ったのか。  逃げられたらどうしようかなんて考えていたけど、そのネコはすとととと、と身体を揺らし近くまで来た。 「あやや。きみ懐っこいねぇ。誰かに飼われてるのかな?」  でも首輪は付けてない。頭を撫でて、顎をサワサワさすりながら調べてみたけど、誰かのモノというわけじゃなさそうだった。  それにしてもやっぱり変わった毛の模様……ヒョウみたい。ジャングルとか森の中が似合いそうだ。  抱き上げて外に連れて行こうかと思ったところで、また上司の怒鳴り声が廊下に響いた。 「広瀬さん! なに遊んでんの!」 「遊んでません」 「早く捨ててきて‼︎」  捨てろときたか。これで二児の母だからなぁ。こんな癇癪持ちのお母さん、あたしなら嫌だと、ついつい思ってしまう。  あたしはネコを抱き上げた。  上司命令により、このネコを外へくるために。 「さっさと片付けに戻って!」  今度は「今すぐ戻れ」と言わんばかりの言い方。たぶん彼女には今、腕の中のネコが見えていない。  あたしは「外に連れて行ってきます」と行って廊下を歩いた。背後から、窓から放り投げりゃいいじゃん、と聞こえてくる。そりゃあネコだからそれでもいいだろうけどさ。それはどうなの、と思ってあたしは聞こえないフリをして、非常口へと向かった。 「あっ、コラ!」  途中、腕の中でネコが暴れ、落としてしまった。慌てて捕まえようとするも、ネコは走って行ってしまう。何度も抱き上げようとするも、今度は捕まる気がないのか一定の距離を空けられた。 「な、なんてすばしっこい……さすがネコ!」  少し走っては振り返り、捕まえようと腕を伸ばせばサッと逃げられる。なんだか誘導されてるような錯覚を受けた。  ……不思議なネコだ。  懐こい割には妙に気品があり、まんまるの金色の瞳が品定めでもするようにジッとあたしを視ている。その目がなぜだろう……あたしを見ているようなのに、まるで、あたしを通り過ぎて他の誰かを視てるみたい。  ギラギラと輝く瞳は、この世のモノじゃないナニカを思わせた。 「いやいや。たかがネコだし。それに、ネコには霊感があるっていうし」  結局、ネコに連れてかれるようにして非常口まで来た。金属製のドアには「関係者以外立ち入り禁止」の文字。  ネコはまるで自ら出たがるようにドアをカリカリと引っ掻いていた。 「うわわ、ドアに傷がつく! いま開けてあげるから待って!」  自分から出てくれるなら、それはそれでいい。  あたしはネコより前に出て、その重い扉を開けた。  ──が、 「え?」  そこは、空だった。  下を見れば足場も無い。  ただただ見渡す限り一面に、青い空が広がっていた。 「え。ど、どういうこと⁇」  ここ一階のはずなのに!  ドッキリか?  それともデ◯ズニーのアトラクション⁉︎  誰かが「ドアをあけたらオモチャの気分!」を演出してア◯ディの部屋の壁紙を貼ってくれた的な?  って、ンなバカな!  どこのどいつが会社の非常口に設置するんだっての。  しかもお盆の真っ最中に! 「よし。一回冷静になろう」  とりあえずドアを閉めよう。  そんで、違う所からネコを外に出すことにしよう。  ……あたしは、なにも、見なかった。  全身に吹きつけるこの生暖かい風と、甘い香りのする爽やかな空気を無視してゆっくりとドアノブを引いた、その時── 「やぁっと見つけた」  どこからか声が聴こえた。  少年のような幼さとイタズラめいた高い声。  そして、背中をトンと小さな手で押された。 「え」  浮遊感。浮遊感。落下感。  無意識に手を伸ばすもドアはもうない。  上も下も右も左もぜんぶ空!  なのに、またあの声が聴こえた。 「ようこそ、永遠のナツへ。  ああ……やっと見つけた。  ボクはキミを──ずっとずっと探していたんだ」  潮騒が聞こえる。  潮騒が聴こえる。  ざわざわと  ざあざあと  あの  懐かしい波音が──
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