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英雄マウイ
「あら。逃げるってことはやっぱりそういうことなのね?」
違うって言いたいけど!
事情も何も分からないけど!
そんな目で見られて身の危険を感じないほど、あたしは鈍感じゃない!
「アンタには悪いけど、これもロンガのため。ひいてはこの島を護るためなのよ」
バサッと大きな音が聞こえた。
石畳の上って、なんでこんなに走りにくい。
やっとのことで石の囲いから出れば今度は砂浜。
足が沈む。
取られる。
一歩ごとに重さを増す。
「あの男に言っといてよ。『いい加減にしろ』って。何度も何度も……コッチはいい迷惑だわ」
「ぅぐっ!」
誰のことだよと思ったのも一瞬、翼を優雅にはためかせ、頭上を軽々越えて正面に着地した美女が、右手一本であたしの首を締めて持ち上げた。
……信じられない。
なんて怪力。万力で固定されてるみたいに強い。逃れようと全力で暴れてるのにビクともしない。
痛い。苦しい。喉が締まる。
これ、本気だ。
この人、本気であたしを殺す気だ──!
「……っ、ぐぁッ、!」
ガッチリと掴んだ手が首筋に食い込んでくる。あたしはその手をガリガリと引っ掻いてるというのに、手は緩むどころか更に力を込めてきた。
アヒルみたいな声で見苦しくもがけば、その美しい怪物は妖艶に笑んだ。
「(……ウソでしょ………)」
せっかく助かったというのに。
助けてくれた人に誤解されて殺されるとか……そんなの嫌だ。
だけど視界は徐々に黒く閉ざされていく。
こんなに苦しいのに、なかなか意識がなくならない。
その間もずっともがき、あがいている。
どれくらいそうして抵抗し続けていたか。
いつしか全身から力が抜け、手をダラリと下げたところで、ヒュッと風切り音が鳴った。
「……ぃツっ! 〜〜なにすんのよ! マウイ‼︎」
美女はあたしの首を絞めていた手を離した。
ぐしゃりと倒れるように砂浜に突っ伏す。
酸素が……酸素が欲しい!
そう思って必死に息を吸っているのに、上手くいかない。
ヒューヒューと喉が鳴る。
口から涎の塊が落ち、何度も咳き込む。
でも吸えない。吐きそう。気持ち悪い。
吸いたい欲求と吐きそうな反射が相まって、どうしていいか判らない。
なんて、苦しい──!
「あー、落ち着けって。焦って吸うんじゃねェよ。
大丈夫だから。
ほら。まずはゆっくり息を吐け」
背に手が添えられる。ゆっくり撫でながら命令されれば、身体はその通りに動いた。
「おーエライエライ。んじゃ次はゆっくり吸う。
……ゆっくりだ。そんで吐く。
鼻で吸って口で吐くんだ。
………ああ、そうそう。イイコだな」
声は何度も命令し、言われたままに呼吸をしていればだいぶ楽になった。時々大きく咳き込むけれど、苦しかった時期は去り、あたしはようやっと顔をあげることができた。
助けてくれた青年と目が合い、彼はイタズラっ子そうな目を細めてワンパクに笑った。
「俺様に感謝しろよなー。でないとお前、今頃あの鳥野郎にアタマからバリバリ食われてっぞ!」
「ちょっと! アタシがいつそんなことしたってのよっ!」
青年は声を出し快活に笑っていた。
怒った様子もなければ、同情してる風でもない。
あっけらかんと現状を楽しんでいる感じだ。
「ひっでーコトするなぁ、二人とも。コイツただの人間だぜ? いったい何と勘違いしたんだよ」
「人間ですって⁉︎」
「人間なのかっ⁈」
それ以外の何に見えるんでしょうか……。
聞きたいけどそんな元気ない。
あたしは深呼吸を繰り返しながら、彼らの会話に耳を傾けていた。
「ンなもん匂いで判るだろうが。トゥリは目しか取り柄がねェの?」
「なぁんですって⁈ アンタに言われたかないわよ、マウイ!」
「あーハイハイ。……ったく、トゥリはいつもうるせェのなー」
マウイという青年は、あたしに同意を求めるように「なー?」と覗き込んできた。あたしは曖昧に笑った。生理的な涙でかなり酷い顔をしていたと思うけれど、青年は気にしている様子もなかった。
彼のお陰でだいぶ呼吸は整い、落ち着いて状況が把握できるようにまで回復できたみたいだ。
「おっ、もう大丈夫そうだな! 俺様はマウイ。あんたら人間の味方でもあり、英雄だ。宜しくな!」
マウイと名乗った青年は立ってからそう言って手を差し出した。
よく見れば、この男性もだいぶ整った顔をしている。
赤い瞳と犬歯みたいな八重歯が特徴的な男らしい人だ。癖のある長い黒髪を首の後ろで無造作に纏めている。
「あ、ありがとう……ございます」
差し出された手を掴みながら全身を見る。
左腕から胸にかけてタトゥーがあった。心臓あたりにあるのは太陽だろうか。右足から狼っぽいのが……水着? フンドシ? を突き抜けてその太陽を飲み込もうと大きく口を開けていた。
惜しげもなく晒された浅黒い肌に、均整の取れた筋肉がほどよくついている。片手で軽々助け起こしてくれたあたり、ちゃんと鍛えられてるものなんだろう。
「んーな畏まった言い方するんじゃねェぜ。気楽に話しなァ。このマウイ様は心が広いからな。呼び捨てたって別にいいんだぜ? 『マウイ』って呼んでみろよ」
「……ぁ、ま……マウイ?」
「おう! あんたの名前はなんてェんだ?」
「広瀬……茜」
「へー。聞いたことのねェ言葉だな。意味わかんねェ。
──で? なんて呼びゃあいい?」
「アカネでいいです……じゃない。いい、よ?」
です、って言った時しかめっ面をしたので、言い直したらニパリと太陽みたいに笑った。ヨシとばかりに肩を叩かれる。クルクルと表情の良く変わる人だ。
笑顔が妙に明るくって、見ているだけで元気になれる気がする。
そこへあの美人の怪物が口を挟んできた。
「ちょっと! もういいでしょ、マウイ。アタシたちだってその子に聞きたいことは山ほどあンのよ?」
「だってお前ら殺そうしたじゃん。アカネだってまだ怖ェよなァ?」
「っ、それはっ……!……わ、悪かったわよ。早とちりして殺そうとして。……ごめんなさい」
トゥリと名乗った美人さんは、済まなさそうに言った。もういいですとはさすがに言えなかったけど、誤解が解けたことにはホッと出来た。
恐怖も痛みも、まだ喉にへばりつくように身体を強ばらせる。だけど背後にマウイがいるおかげか、震えはなかった。
トゥリは謝ったあと、これじゃいけないと思ったのか、スッと姿勢を正し自分を指していった。
「アタシはこの島を護る精霊、トゥリ。
こっちは島の昼の支配者、ロンガよ。
謝って許されることじゃないと思うけど、ちゃんと言わせてちょうだい。
……さっきのことは本当にごめんなさい」
半歩後ろに立つ杖のイケメンさんを手で促して、トゥリは再度そう言って頭を下げた。
同じようにロンガと紹介されたマントの男性も頭を下げた。
「怪我はないかしら?」
ケガ? よく分からない。無意識で首をさすった。
トゥリと名乗った美女があたしに近寄ってスッとあたしへと手を伸ばした。
思わずビクリと大きく震え、首をすくませてしまった。
「…………」
ピタリと彼女は動きを止めた。そこへマウイが自然とあたしの肩を抱く。
力強い手だ。顔を見れば頼もしくニッと笑った。
……うん、大丈夫。理由もなくそう思った。
美女はあたしの顎を持ち上げ、首から頭から爪先までもをじっくり見ていた。その視線は気遣いと申し訳なさに満ちていて、あたしはようやっとトゥリと名乗った美女に声を発することが出来たのだ。
「無い、と思います。だい、じょうぶ……です」
「……そう。よかった」
泣きそうにホッと笑ったトゥリに逆に罪悪感を覚えたくらい………って、いやいや。
殺されかけたのあたしだから。
勘違いしたのあっちだから。
悪いの百パー向こうだから!
美人に誤魔化されるなよ、あたしっ‼︎
「アンタ『人間』で間違いないのよね?」
トゥリは一言一言区切るように訊いた。あたしは頷く。
むしろなんでそこを間違えたし。
間違えるようなものなの?
ココってそういう場所なの?
トゥリは安堵したようにはぁーと大きく息を吐き出す。やってしまったと美顔を曇らせ、ガシガシと乱暴に頭をかいて、ずっと黙ったままの男性へと話しかけた。
「ロンガ……どういうことか説明してちょうだい。こちとら危うくタプを犯すトコだったじゃないの」
「我も知らぬ。誰からも何も聞いてない」
「カフナからも?」
「ああ」
二人は神妙に黙りこくる。
やっぱりやだなぁ、こういう空気。
さっきみたく不穏、とまではいかないまでも、納得はしていない様子。
そんな中、場違いなほど陽気に声をかけたのはマウイだ。
「まぁいいじゃねェか! アカネは死なずに済んだし、事情は今から聞きゃあいいさ。難しいこたァ後でゆっくり考えるとしてよ、マラエでも行かね? ここじゃなんだ」
サンサンと太陽が照り付ける砂浜は、日影一つなく暑い。ここじゃ長い話をして考えごとをするには向かなさそうだ。
あたしも知りたいことが、聞きたいことがいっぱいある。
「なっ? 行こうぜ、アカネ!」
あたしはマウイに肩を組まれたまま、そうだなと歩き出す彼らについて行った。
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