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半分開いたドアから流れてくる生ぬるい風と、どこか遠くできゃあきゃあとはしゃぐ女の子たちの微かな声。
カラフルで粉だらけの黒板に、金色の光が差し込む。
床にも光の扇ができて、その中心にドアを開けた彼のシルエットが映っていた。
卒業生が去ったあとの教室は時が止まったように静かだったのに、急に時計の音がカチカチと響き始めた。
視線を戻すと、友也はもう、戸惑った顔で私と彼とを見比べるだけだ。
瞳はもとの焦げ茶色に戻っている。──撮り損ねた。
「いいのが撮れそうだったのに」
入り口に立った彼に、わざと未練がましくそう言うと、長い前髪の下から、黒々とした瞳がじっと私を見つめ返した。
切れ長なのに、鋭くない。
どちらかといえばナイフよりコップだ。曇って中身の見えないコップ。私を見て何を思ったのか、よく分からない。
彼はぼんやりとした表情のまま、誰もいない教室を見渡した。
目が合った友也は反射的に、軽く頭を下げる。
「……内海さんって、写真部だったっけ」
低いわりに優しい声だった。
思えば、三年間ずっとクラスメイトだったのに、まともに彼の声を聴いたのははじめてだ。
笑い方は特徴的だから覚えてる。んん、と一度我慢して、口もとを緩めたあと、ふふ、あははは、とやわらかに笑うのだ。
クラスメイトの──椎名だ。椎名真。
「ううん。ひとりでいろんなとこ巡って撮ってるほうが好きだから」
「じゃあ、邪魔したかな」
「別にいいよ。被写体は逃げないもん」
おもむろに友也に向けてシャッターを切った。えええ……と声の聴こえてきそうな苦笑いがレンズに映る。
「そうだ、椎名くんも付き合ってよ。おすすめの場所、教えて」
眉毛が少しだけ寄る。「おすすめの場所?」
「そう。私ね、ひとが生きてる姿を撮るのが好きなの」
その場所に根付く誰かの呼吸、誰かが生きている当たり前の日常を、消えてしまう前に撮りたいんだ──私が語ると、椎名はしばらく考えるそぶりを見せた。
「生きてる場所は知らないけど……自分が生きてることを実感できる場所なら知ってるよ」
「素敵だね。どんなところ?」
「お墓」
ちょうど今から行こうと思ってたとこ。
感情のない声で呟きながら椎名は机を探った。忘れ物したのかな。
午後のあたたかな光が落ちる学ランの背中に、まだ私の知らない椎名の暗さがうっすらと滲んだ気がした。
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